この記事でわかること
- 坐禅シリーズ66本の素材と、三つのまとまりの全体像
- 坐禅の記事なのに、学び方と組織の話が多い理由
- 続かない・迷う・任せる・怒り・学び方という五つの入り口
「吸って、吐いて、1つ」で、坐禅の数息観の話を書きました。10まで数えて1に返る。私自身は、朝5分を、週に数回です。
あの記事から、坐禅のシリーズが始まりました。気がつけば66本になっています。
本数が増えると、どこから読めばいいのか分かりにくくなります。この記事は、シリーズの地図です。新しい話はありません。あるのは、並べ方と、入り口の選び方だけです。
何を読んで、何を書いてきたか
このシリーズの素材は、大きく三つです。
- 山田耕雲老師の『新版 禅の正門』(春秋社)
- 雑誌『致知』に載った、修養をめぐる対談
- 私が通ってきた坐禅会の録音。何年も前の録音を文字に起こし、読み返しました
どの記事も、この三つのどれかを一次資料にしています。記憶で書いた話や、一般論のまとめは入れていません。
そして、多くの記事に私の現場の話を置いています。基幹システムの導入を支援する仕事をしながら、読んで、坐って、考えたことです。
三つのまとまり
66本は、順番に読むとつながるように書いてあります。記事の冒頭で前の記事を受け、最後で次の記事へ渡しています。
図1 坐禅シリーズ66本の流れ——入口の1本から、三つのまとまりへ
第一のまとまり(32本)は、『新版 禅の正門』を読む記事が中心です。途中で『致知』の対談を読み、最後に同じ本の付録へ戻ります。坐禅の種類、指導者の見分け方、進み具合の測り方など、坐禅そのものの話が多いまとまりです。後半では、「よし来た」と一言で災難を受けた禅僧の話や、「平常心是道」という答えを読みます。
第二のまとまり(6本)は、同じ本の第一章に戻ります。外へ探すか、内へ向けるか。落ち着かなさは故障なのか。規則は組織の何を動かしているのか。坐禅から少し離れて、経営と組織の話に近づきます。
第三のまとまり(27本)は、本の第三章を読んだあと、坐禅会の録音に入ります。迷ったら坐る、五分を歯磨きの隣に置く、怒りは続かなくなる。録音ならではの、短くて具体的な話が並びます。嫌な上司はいつかいなくなる、掃除もサービスではなく修行、といった職場の話も多く、最後は「扉は、自然に閉じて次が開く」で一区切りとしました。
坐禅の話なのに、組織の話が多い
66本を、このサイトのカテゴリで数えてみました。
- 心を高める:19本
- 学び方:14本
- 組織づくり:13本
- 経営者の生き方:9本
- 経営の実学:8本
- 教養と思想:3本
並べてみると、「心を高める」がいちばん多く、「学び方」と「組織づくり」がそれに続きます。坐禅の記事でありながら、4割ほどが、学び方と組織の話です。
坐禅は一人で坐るものです。それなのに、読んでいくと、人にどう教えるか、どう任せるか、場をどう整えるか、という話が何度も出てきます。一対一で向き合う仕組み、認定が目的になってしまう危うさ、規則が動かしているものの狭さ。どれも、会社の中で毎日起きていることでした。
一人で坐ることと、組織を動かすことは、別の話ではありません。自分の心の扱い方が、そのまま人との関わり方に出る。66本の並びは、そのことを示しているように私には見えます。
困りごとから入る
順に読むのがいちばんですが、全部を読む必要はありません。いま困っていることに近い記事から入って構いません。
図2 困りごとから入る——五つの入り口と、最初に読む記事
入り口ごとに、最初に読む記事を二本ずつ挙げます。
続かない方へ。「「今年こそ毎日10分」と、私は名乗った」は、8年前に名乗った目標が続かなかった理由を、録音を読み直して見つけた話です。「五分を、歯磨きの隣に置く」では、続ける工夫は長さより置き場所だ、と書きました。
判断に迷う方へ。「迷ったら、まず坐る」は、考えるのではなく見つめる、という話です。「忙しいからこそ坐る」では、よく見せようとすると手が止まる、と書きました。
人を育てる・任せることに悩む方へ。「衛生講話では、病気は治らない」は、独参という一対一の仕組みを、人材育成に引き寄せて読んだ記事です。「通訳してくれる人は、僕なんですね」は、「他己」という任せ方の土台の話です。
怒りや不安を抱えている方へ。「腹が立たなくなるのではない。続かなくなる」は、怒りの回数と長さを扱った記事です。「不安と苦悩の博覧会」は、その不安は業績では埋まらない、という話です。
学び方を見直したい方へ。「読んで分かることと、やって分かること」では、輪読という学び方の効きどころを考えました。「学ぶなら、現役のうち」は、リタイアした後を待たない、という話です。
読む前に、お伝えしておきたいこと
このシリーズは、坐禅会への案内ではありません。宗教を勧める記事でもありません。
私が読み、坐り、仕事の中で確かめたことを、同じように学ぶ方と分かち合うために書いています。一本読んだら、自分の仕事で一つ試してみてください。合わなければ、また読み直せばよいのです。もう一つ。坐禅会の老師や参加者のお名前は、どの記事にも書いていません。話の中身だけを受け取っていただければと思います。
まとめ——一冊と、一つの会から
- 素材は三つ。『新版 禅の正門』、『致知』の対談、坐禅会の録音
- 66本は、入口の1本と三つのまとまりに分かれる。順に読むとつながる
- 困りごとから入ってもよい。続かない、迷う、任せる、怒り、学び方の五つの入り口がある
- 坐禅会への案内ではない。読んで、仕事で確かめるための記事である
坐ることは、心の波を鎮めることです。そしてその静けさが、判断と人との関わり方を変えていきます。心を高める、経営を伸ばす。このシリーズは、その前半を、坐禅という一つの方法から確かめてきた記録です。
まずは入口の一本、「吸って、吐いて、1つ」からどうぞ。
明日、一つだけやってみる
五つの入り口から、いまの困りごとに近いものを一つ選んで、最初の一本を読んでみてください。読んだら、自分の仕事で一つ試してください。
よくある質問
Q1. 順番どおりに読まないと分かりませんか。
いいえ。どの記事も一本で読めるように書いています。ただ、冒頭で前の記事を受けているので、順に読むと話のつながりがよく見えます。
Q2. 坐禅をしたことがなくても読めますか。
読めます。多くの記事に、仕事の場面を置いています。坐り方そのものは、入口の「吸って、吐いて、1つ」に書きました。
Q3. 坐禅会に参加したほうがよいのですか。
この記事は、特定の会への参加をお勧めするものではありません。記事を読み、自分の仕事で一つ確かめてみる。それだけでも、十分に学びになると私は考えています。
出典
- 山田耕雲老師『新版 禅の正門』(春秋社)
- 雑誌『致知』に載った、修養をめぐる対談
- 私が通ってきた坐禅会の録音
全66本の一覧(投稿順)
入口
第一のまとまり
- 「今年こそ毎日10分」と、私は名乗った——8年後に分かった、続かない理由
- 分けて教えて、とらわれるなと言う——坐禅の五分類のあとに、老師が言ったこと
- ゼロの中に、無限大——空という言葉を、記号ひとつで説明しようとした話
- 本があったから会ができたのではない——経営者が坐る会の、成り立ちの話
- 読んで分かることと、やって分かること——輪読という学び方の、効きどころ
- 衛生講話では、病気は治らない——独参という、一対一の仕組み
- 言葉を見て、察する——本物の指導者を、素人が見分けられるか
- 見えてきた、と思ったときに現れる——魔境という、進歩の証拠であり落とし穴
- どこまで来たかを、どう測るか——五つの物差しと、途中で反転する向き
- 続ける人が持っているもの、三つ——信・疑・憤志という鼎の足
- 玉の色は、転がり方に関係ない——立場の違う人が、同じ方法を学べるか
- 目を閉じないで坐る——雑念を消さずに、雑念の中で集中する
- ボンヤリ一時間より、シッカリ三十分——続けるための条件を、先に決める
- ただ坐るか、問いを持つか——二つの流儀が、同じ場所を目指していた
- 頭を探して走り回る——すでに持っているものを、外に探しに行く
- 八つの前提を、自分に点検する——一つでも腑に落ちなければ、全部が不徹底
- 水の尽きるところまで行って、坐って雲を見る——九年かけた一冊の、最後の一行
- 六百の公案を終えて、最初からやり直した——十六歳の問いが解けるまで
- 「よし来た」と、ひと言だけ——災難の逃げ道を聞かれた禅僧の答え
- 「内には一物もなく」——売りたいものを持ったまま、人の話は聞けない
- 「それを目標にすると、外れてしまう」——平常心是道という答え
- 「見性すれば解決する」——その”すれば”に、楔があった
- 「一人になりたいがために坐禅を始めた」——動機は、あとから変わる
- 「母親のお腹から人間として生まれた」——遠すぎる人を、地続きにする
- 「こういう善があるから従いなさい」とは言っていない——向きだけを示す
- 「仏様を目指す道があるのではなく、仏様という道がある」——手段をやめる
- 「積み重ねてきたものを、積み下していく」——自分なき自分が、道なき道を
- 「理致を貴ぶ者は機関をきらひ」——理屈が効かなくなる段階がある
- 「これでは人生の戦場において物の役に相立たない」——静けさは、持ち出せるか
- 「然り然り、我は其の着実を欣ぶ」——承認と距離を、同じ行で渡す
- 「決して初めてお目にかかった訳ではないのですが」——同じ一行が、七、八年後に届く
- 「この書は坐禅の入門書ではなく」——名著を、用途で読み違える
第二のまとまり
- 外へ向けるか、内へ向けるか——同じ「探す」でも、向きが逆だった
- 家の中を見たか——本来、大金持ちでありながら
- 不安と苦悩の博覧会——業績では、埋まらない
- 落ち着かなさは、故障ではない——あがきであり、陣痛である
- 「期待される」からは、人は育たない——指針に、よりどころがあるか
- 規則が動かしているのは、ごく一部だけ——参照されるのは、もめたときだけ
第三のまとまり
- 本当に見えたあとが、いちばん危ない——白隠禅師の大慢心と、十八年の残りもの
- 学んだ直後は、語りたくなる——問題は「話すこと」ではなく、話し方の副詞だった
- 仕事中も、唱えていなければならないのか——「棚上げして、打ち込め」という答え
- 迷ったら、まず坐る——考えるのではなく、見つめる
- 五分を、歯磨きの隣に置く——続ける工夫は、長さより置き場所
- どの波も、水だった——比べているのは、水面だけ
- 菩薩とは、人のことしか考えられない人——それが「楽しみ」になっている、という定義
- 息は、何も要求しない——老師が「一番いい先生」と呼んだもの
- 認定すると、認定が目的になる——「許された俺」が残る、という老師の疑問
- 忙しいからこそ坐る——よく見せようとすると、手が止まる
- 腹が立たなくなるのではない。続かなくなる——怒りの「回数」と「長さ」の話
- 学ぶなら、現役のうち——「リタイアした後に」を、待たない
- 悪い因果は背負う。いい因果は分け合う——普通とは逆の、責任と成果の置き方
- 自分の範囲は、五尺の体ではない——社員と、その家族までが「自分」になる
- ニューヨークの地図は持っている——知っていることと、行ったことがあることは違う
- 次の玉手箱は、開けてみないと分からない——「上には上がある」と思えば、傲慢にならない
- 通訳してくれる人は、僕なんですね——「他己」という、任せ方の土台
- 本当はできる、と言っても信じない——長者は、まず隣で暮らした
- 掃除も、サービスではなく修行——場を使う側から、整える側へ
- 嫌な上司は、いつかいなくなる——ただし、次が来る。環境は心の反映
- 人がどう思うかに、その人は責任を取らない——外ばかり見て、自分を見ていない
- この杖は、どこから来たのか——ここにあるけれど、ないとも言える
- 自分だけ静かになって、何が悪いのか——空見という、平安の落とし穴
- 在家に説かれたのは、三つだけ——「あれもこれもやらない」という絞り方
- 理解しようと思ったら、別の話——流して、引っかかったものだけ持ち帰る
- 背骨は言う。強要はしない——自分の軸は明かし、相手の軸は相手に任せる
- 扉は、自然に閉じて次が開く——がむしゃらな時期も、一つの修行
