この記事でわかること
- 長さより密度——人の心は長い緊張に堪えられない理由
- 無期限で始めず、期限と観測点を先に決める意味
- 理想の環境を待たず、境遇の許す範囲で工夫する話
前回は、坐り方そのものの話を書きました。本はそれを直接の心得と呼びます。
第四章にはもう一節あります。間接の心得です。
実際にやってみると出てくる疑問に、先回りして答えておく章でした。場所、明るさ、食事、眠気、時間、期限。
読んでみて、これは続けるための条件設計の章だと思いました。長さより密度。できない相談はしない。そして、無期限で始めない。
一生続けるものを勧める本が、なぜ最初は期限を切れと言うのか。
できない相談は、しない
場所の話から始まります。
なるべく静かで、なるべく神聖な所を選ぶ。寝床の中はよくない。心は環境の支配を敏感に受けるからだ、と。
ただし、ここからが現実的でした。
一室で暮らしている人なら、入口より奥まったところ、机の前のほうが神聖だといってよい。そこに線香を一本立てれば環境として十分だ、と書かれています。
そして、こう締めます。
「できない相談をしても仕方がない。要は、自分の境遇の許す範囲でできるだけの工夫をすることである」
理想を示したあとに、必ず現実の逃げ道を用意する。この本はずっとそうです。
明るさにも指定があります。半明半暗が理想的。明るすぎると心が散り、暗すぎると眠くなる。
半睡状態は、罪悪である
食事の話も具体的でした。食後三、四十分は坐らないほうがよい。腹の皮が張ると目の皮がたるむ、と。
眠いまま坐ることについて、本は厳しいことを書きます。
半睡状態では能率が上がらないばかりか、坐ると眠くなるという悪習慣が身につく。だから半睡状態の坐禅はむしろ罪悪だと思って避けねばならない、と。
眠るなら横になって徹底的に寝たほうがよい、とまで書いてあります。
そして、この一行。
「坐禅はボンヤリ一時間坐るより、シッカリ三十分坐った方が遙かに効果的である」
時間を積むことと、密度を上げることは別だ、という話です。
では眠くなったらどうするか。手当ても書かれています。
体を左右に揺すり、自分を叱咤して坐り直す。それでも駄目なら冷水で顔を洗うか、軽い運動をする。
それでも醒めないときは、一時、睡眠に負けてやるのも一つの方法だとあります。五分か十分、気を許して坐ったまま眠る。そして気を取り直して、改めて坐る。すると頭がはっきりして、かえってよく坐れる、と。
負けを認める手当てが、正式な手順として書かれている。ここも現実的でした。
図1 長さではなく、密度で決まる
人の心は、長い緊張に堪えられない
一回の長さについても、はっきりした指定があります。
どんなに短くても、坐れば坐っただけのことはある。一方で、一日ぶっ通しで坐ればそれで十分というものでもない。
長短より、熱心か不熱心かのほうが効果に差を生む、と本は言います。
そして理由が書かれています。
「人間の心は長時間の緊張には堪えられないようにできているのである」
だから長く坐るときは、止静・経行・抽解に切って実行する。坐る時間、歩く時間、休む時間を、あらかじめ分けておくのです。
初心者が一人で坐るなら二十分くらい。著者の道場では通常二十五分を一坐にしている、とあります。
長く続けるために、先に短く区切っておく。
時間は、自分の感覚で測らない
もう一つ、地味ですが効く指定がありました。
坐るときは、必ず時間を計る物を前に置く。
理由が正直です。わずかの間のつもりが実際には長かったり、長く坐ったつもりが実際にはわずかしか過ぎていなかったりする。人の時間感覚は、あてにならないのです。
時計でもタイマーでもよいが、線香が最も理想的だとも書かれています。音がせず、見損じがなく、香りが集中を助けるから。
締めの一文がよかった。
「何でもよろしいから時間を計る物を前に置いて安心して坐ることが肝要である」
安心して、という言葉がここに来ます。時間を測るのは管理のためではなく、気にしないで済ませるためでした。
期限を切って始める
いちばん意外だったのが、ここです。
「坐禅を始めるには予め期限を切って始めるのがよい。最初から無期限に始めることはすすめられない」
一生続けるものを勧めている本が、最初は期限を切れと言う。
理由も書かれています。無期限でやれというのは理想としては正しいが、それは上等すぎて一般の人には期待できない、と。
そのうえで、期限が来たら自分で効果を確かめよ、と続きます。
一回二十分を一日に二、三回、一か月なり三か月なり半年なり続けたら、始める前の自分と今の自分を、心静かに比べてみる。
比べる項目まで具体的でした。胃腸の具合。寝つき。夜中に目が覚めるかどうか。イライラして怒りっぽくなくなったか。読書に集中できるようになったか。
ただし本は、確かめられる効果について釘も刺します。顕在意識で認められるのは、潜在意識に与えられている影響のごく一部にすぎない、と。
見えた変化は、起きている変化の一部でしかない。そう思っておけ、ということでした。
図2 無期限で始めない——期限と観測点を先に置く
施策に、期限と観測点を置くようにした
私は基幹システムの導入を支援する仕事をしています。
この章を読んで、三つ変えました。
一つ目は、期限です。新しいやり方を始めるとき、「これからはこうします」と無期限で言わないことにしました。まず三か月、と区切る。
無期限は、聞くほうにとって逃げ場がありません。期限があると、とりあえずやってみるかという気になります。
二つ目は、観測点です。期限が来たときに何を見るのかを、始める前に決める。
本が挙げた項目が身近なものばかりだったのが効きました。売上や工数ではなく、胃腸の具合や寝つきです。仕事でいえば、残業時間や問い合わせ件数のような、誰でも実感できるものだと思いました。
三つ目は、長さより密度です。会議を一時間取るのをやめて、三十分にしました。
ボンヤリ一時間より、シッカリ三十分。これは坐禅の話であって会議の話ではありませんが、人間の心は長時間の緊張に堪えられないという一行は、どちらにも効きます。
そして「できない相談をしても仕方がない」。理想の環境が用意できないことを理由に始めないのは、私の悪い癖でした。
まとめ——条件は、始める前に決める
- 長さではなく、密度。ボンヤリ一時間より、シッカリ三十分です
- 無期限で始めない。期限を切り、期限が来たら前の自分と比べます
- できない相談はしない。境遇の許す範囲で工夫すれば、それで足ります
心を高める、経営を伸ばす。高めるための条件は、始める前に決めておくのだと読みました。
次回は第三章に戻り、まだ触れていなかった第二節を読みます。只管打坐と公案工夫。坐り方が二通りあるのです。では、何がどう違うのか。
明日、一つだけやってみる
新しく始めようとしている施策を一つ選び、「まず三か月」と期限を切ってみてください。期限が来たときに何を見るかも、誰でも実感できるもので一つ決めてください。
よくある質問
Q. 短い坐禅では意味がないのではありませんか。
本は、はっきり否定しています。どんなに短くても、坐れば坐っただけのことはある、と書かれています。
同時に、一日ぶっ通しで坐ればそれで十分というものでもない、とも言います。長短より熱心さのほうが差を生む、というのが本の立場です。
Q. 期限を切ると、期限が来たらやめてしまいませんか。
本はその心配をしていません。期限が来たら効果を確かめよ、と書いています。
確かめれば自信がついて、ますます熱心になるという順番で書かれています。やめるかどうかは、そのときの自分が決めればよいということだと読みました。
Q. 目を開けるのに、視界は遮るのですか。
矛盾しないと読みました。本は面壁、つまり壁や襖に向かって坐るよう書いています。
遠くが見えると心が散るから、視界は遮る。ただし目は開けたままです。遮るのは距離であって、光ではありません。
出典
- 山田耕雲『新版 禅の正門』(春秋社)第四章第二節「間接の心得」。本文313〜334ページ
- 引用はすべて、同書のスキャン原本の該当ページ画像で字句を確認した(本文313・314・315・317・318・321・325・330ページ)
- 本文でお名前を記した人物はいません。坐禅会の関係者のお名前も記載していません
- 本記事は書籍のみを素材としており、坐禅会の録音は使用していません
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