この記事でわかること
- 規則が表に出るのは例外のときで、普段は慣習が動かしている話
- 規程は、すでにある事実を宣言したときだけ効く理由
- 規程を作っても現場が変わらないときの、打つ手の順番
前回は、指針によりどころがあるかという話を書きました。「期待される」は都合であって、「あるべき」ではないという話です。
では、指針の隣にある規則はどうか。就業規則、社内規程、業務マニュアル。
『禅の正門』の第一章に、規則と慣習の関係を扱った一段があります。読んでみて、規程を作っても現場が変わらない理由が、ここに書いてあると思いました。規則が表に出るのは例外のときだけで、普段の秩序を保っているのは慣習のほうだ、と本は言います。では、規程はどういうときに効くのか。
表に出てくるのは、例外のほうだった
本は、日常生活のどこを法律が動かしているかを、こう書きます。
「しかしながら、人間の日常生活では、法律関係が表面にあらわれない事実関係が広範な領域を占めており、」 「法律関係があらわれるのはむしろ例外と言ってよいであろう」
そして、続けます。
「この事実関係の秩序を維持しているのは、慣習、道徳であって法律ではない」
法律が表に出るのは、例外のとき。普段の秩序を保っているのは、慣習のほうだ、と言っています。
これは、言われてみればその通りです。今日一日を、法律を参照しながら過ごした人はいません。
図1 規則が表に出るのは例外。残りは慣習が保っている
会社に置き換えると、身に覚えがある
私は基幹システムの導入を支援する仕事をしていて、いろいろな会社の社内規程や業務マニュアルを読みます。
読んで最初に気づくのは、書いてある通りには動いていないことが多い、ということです。
これは、誰かがサボっているという話ではありません。規程が作られたあとに、現場のやり方が変わっただけのことが多い。
そして、規程が参照される場面は、だいたい決まっています。
- もめたとき
- 処分を決めるとき
- 監査で聞かれたとき
つまり、例外のときです。本が言っている構造と、そのまま同じでした。
では、普段の会社は何が動かしているのか。慣習です。このやり方でやってきた、という積み重ねが、規程よりずっと広い面積を占めています。
規程を作っても、現場が変わらない理由
新しい仕組みを入れるとき、業務フローを整理して、規程に書くという作業をします。
書いた通りに動くこともあれば、動かないこともあります。
長いあいだ、私はこの差を周知の問題だと思っていました。説明が足りない、研修が足りない、と。
いまは、少し違う見方をしています。
すっと通るのは、現場がすでにそうし始めていることを、明文化したときです。 通らないのは、まだ誰もやっていないことを、先に文章にしたときです。
本の中に、これに対応する一段があります。
ルールは、事実を宣言したときだけ効く
本は、規定と事実の関係について、こう書いています。
「その創設的効果によって人間がそうなったのではなく、」 「人間が本来尊厳なるものであり平等なるものであるその事実を、宣言したものでなければならない」
「それなくしては、……単なる思想的根なし草、観念の仮作した妄想にすぎないということになろう」
規定が先にあって、そこから事実が生まれるのではない。 すでにある事実を、規定が宣言する。そういう順番だと言っています。
なお、この一段の本来の題材は憲法です。本記事が借りているのは、「規定と事実のどちらが先か」という論の形だけで、憲法そのものについての議論には立ち入りません。
図2 まだない事実は宣言できない
「だから規則はいらない」でも、「慣習に従え」でもない
ここは読み違えやすいところです。
一つ目。本は、規則を不要だとは言っていません。
例外のときに要るものとして扱っています。もめたとき、処分を決めるときに、規程がなければ何も決まりません。面積が狭いことと、要らないことは違います。
二つ目。「だから慣習に従え」という話でもありません。
慣習には、悪いものもあります。前任者から引き継がれた、誰も理由を知らない手順。それも立派な慣習です。
本がここで言っているのは、どちらが良いかではなく、どちらが実際に動かしているかという事実の指摘です。
そして、事実が分かると、打つ手が変わります。規程を書き直すのではなく、現場の一人が先にやってみるほうが早い場合がある。順番の話です。
本の答えは、この先にあります
本は、このあと踏み込みます。
規定の根拠になる「事実」のほうは、どこから来るのか。本はそれを、西洋のどんな憲法論にも、どんな哲学にも見出すことができない、と書きます。そして、仏道だけがこの問題を解決していると続けます。
これは本の主張であり、この記事はそれを保証するものではありません。その先は坐禅の話になるので、ここでは扱いません。
ただ、ここまでの部分は、信仰の有無にかかわらず使えます。
規程が動かしているのは、ごく一部だけ。そして規程は、すでにある事実を宣言したときだけ効く。この二つは、明日の会議でそのまま使えます。
まとめ——面積を見誤らない
要点は三つです。
- 規則が表に出るのは例外のとき。普段の秩序を保っているのは慣習のほうです
- 規程は、すでにある事実を宣言したときだけ効く。まだない事実は、宣言できません
- 規則が不要という話でも、慣習が正しいという話でもない。どちらが実際に動かしているか、という事実の指摘です
心を高める、経営を伸ばす。規程を整えるのは「伸ばす」側の仕事ですが、それが効くかどうかは「高める」側で決まっている——ここまで読んできて、そう受け取りました。
ここまで6本、一冊の本の第一章だけを読んできました。次回は、同じ本の第三章に戻ります。本当に見えたあとに、何が起きるのか。
明日、一つだけやってみる
社内規程を一つ選び、最近それが参照されたのはどんな場面だったかを調べてみてください。そのうえで、現場が実際にどうしているかを書き出してください。
よくある質問
Q. 規程を作り直す前に、何をすればよいですか。
いまの規程が、いつ参照されているかを調べることだと思います。もめたときだけなら、それは例外のための文書です。
そのうえで、現場が実際にどうしているかを一度書き出す。規程と違っていれば、それが慣習の姿です。
Q. 現場がやり始めるのを待っていたら、いつまでも変わりません。
そのとおりだと思います。この記事は「待て」とは言っていません。
言えるのは、先に文章を書くだけでは足りないということです。一件でも実際に動かして、それを明文化するほうが、順番として通りやすい、という話です。
Q. 悪い慣習は、どう変えればよいのですか。
本はそこまで書いていません。ただ、規程を書き直しても慣習は変わらないことは、この一段から読めます。
私の考えとしては、まず「なぜこうなっているのか」を聞くところからだと思います。理由が残っていれば直せますし、誰も知らなければ、それ自体が変えてよい根拠になります。
出典
- 山田耕雲『新版 禅の正門』(春秋社)第一章第一節「序論」の「四 悪平等について」。本文19・22ページ
- 「しかしながら、人間の日常生活では……」「この事実関係の秩序を維持しているのは、慣習、道徳であって法律ではない」は本文19ページ
- 「その創設的効果によって人間がそうなったのではなく……宣言したものでなければならない」「それなくしては、……単なる思想的根なし草、観念の仮作した妄想にすぎないということになろう」は本文22ページ。同書の当該箇所の主語は憲法である。本記事は引用にあたり、論の形が分かる範囲に絞って示した
- 西洋の憲法論にも哲学にも解決を見出せず、仏道のみが解決しているという趣旨の記述は本文22ページ。本記事はその主張を紹介するにとどめ、内容を保証していない
- 引用はすべて、同書のスキャン原本の該当ページ画像(400dpi)で字句を確認した(本文19・22ページ)
- 本文中に人名は記していません。坐禅会の関係者のお名前も記載していません
- 本記事は書籍のみを素材としており、坐禅会の録音は使用していません
- 本記事は、特定の法律・制度・政策を論評するものではありません。同書が取り上げているのは当時の法制度をめぐる議論であり、本記事が借りているのは「規則と慣習のどちらが日常を動かしているか」「規定と事実のどちらが先か」という論の形のみです
- 本記事は特定の宗教を評価・推奨するものではありません
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