この記事でわかること
- 迷ったとき、選択肢を考えるのでなく問題そのものを見つめる意味
- 一回で正解を出さず、行き過ぎたら少しだけ戻す判断の仕方
- 判断の手順を固定すると、結果を引き受けられるという話
前回は、仕事中も坐禅の問いを唱えていなければならないのか、という話を書きました。本の答えは、場面で分けて、目の前の一つに打ち込むことでした。
では、目の前に大きな判断が来たときは、どうするのか。
老師の答えは、まず坐って、問題をじっと見つめることでした。本ではなく、坐禅会の録音に残っている一段です。老師が、集まった経営者に向けて、ほとんど前置きなしに話しています。
「その時にフラフラしないで、まず座る」
老師は、こう切り出しています。
皆様が経営者ですよね。そうすると必ず経営上の問題にいつもぶつかるんですよね。その時にフラフラしないで、まず座るんですよ。
そして、坐ってから何をするかを続けます。
座って吸って吐いて一つをやって、心を落ち着けて、その問題をじっと見つめる。考えるんじゃなくて見つめるんですよ。
「吸って吐いて一つ」とは、呼吸を一つずつ数える、坐禅の基本のやり方です。
私がいちばん立ち止まったのは、最後の一言でした。考えるんじゃなくて、見つめる。
「考える」と「見つめる」は、何が違うのか
老師は、二つの違いを説明していません。以下は、私の読みです。
考えるとき、私たちは選択肢を並べます。Aならこう、Bならこう。比べるほど、選択肢は増えていきます。
見つめるとき、目は選択肢ではなく、問題そのものに置かれます。何が起きているのか。何に困っているのか。そこから目を離さない。
迷っているとき、私たちはたいてい考えすぎています。選択肢が増えるほど、問題そのものは見えにくくなる。老師の言う「フラフラ」は、この状態を指しているように私は読みました。
図1 考えるとき、見つめるとき——選択肢を増やすか、問題そのものに目を置くか
一回で正解を出さなくていい
見つめたあと、どう決めるのか。老師の答えは、拍子抜けするほど具体的です。
よし、じゃあ右で行こうと思ったら、その人にとって、その時のですよ、その判断が最適なんですよ。
右行ったらどうもちょっと少し右すぎたかなと思ったら、もう一度座って、若干左へ方向を転換する。
ここには、一回で正解を出すという発想がありません。
右に決めて、進む。行き過ぎたと感じたら、また坐る。そして、少しだけ左に戻す。大きく振り戻すのではなく、若干です。
老師は「その人にとって、その時の」と、わざわざ限定を付けています。誰にとっても正しい判断ではなく、いまの自分にとっての判断。だから、あとで直してよいのだと読めます。
図2 坐って決め、行き過ぎたら、坐り直す——一回で正解を出すのではなく、少しずつ直す
手順を決めておくと、結果を引き受けられる
この一段の最後に、老師はこう言っています。
いつも座禅に、座禅をして心を落ち着けたら判断をするということをしていれば、たとえ間違ってもね、それは座禅した結果だから……全部自分の責任だと思っておければいいということですね。
同じ日の終わり近くにも、老師は同じ話に戻っています。
まず座ってものを整えてから判断する。その時の判断が一番自分にとってはいいんだと思う。その結果悪くてもですよ。
ここで固定されているのは、判断の中身ではなく、判断の手順です。
中身は、外れることがあります。けれども、「坐って、見つめてから決めた」という手順が毎回同じなら、外れたときにも言い訳が要りません。自分が決めたことだと、そのまま引き受けられる。
私は、ここがこの一段の芯だと思いました。
私の手順は、紙に書くことだった
私の場合、大きな判断の前にいつもやっていることは、紙に書くことです。
以前、三日間のセミナーで、気になっていることを十三枚のラベルに書き出した話を書きました。書き出して束ねてみて初めて、見ることをサボっていたと気づいた、という話です。
老師の区別を借りると、紙に書くことにも二通りありそうです。
一つは、選択肢を並べる書き方。案Aと案Bの長所と短所を書く。これは、考えるほうです。
もう一つは、問題そのものを書く書き方。何が起きていて、何に困っているのかを書く。これは、見つめるほうに近い。
坐ることと紙に書くことは、形は違います。ただ、どちらも決める前に、手を止める手順です。老師の話に当てはめると、私の手順はそう整理できます。
「坐れば正しい答えが出る」という話ではありません
誤解されやすい点が、二つあります。
一つ目。老師は、坐れば正解が出るとは言っていません。むしろ、右すぎたら直せ、と言っています。外れることを前提にした手順です。
二つ目。責任を一人で抱え込め、という話でもありません。老師が言っているのは、手順を決めておけば、結果に対して言い訳を探さずに済む、ということです。私はそう読みました。
まとめ——中身より、手順を決めておく
- 迷ったら、まず坐る。考えるのではなく、見つめる。選択肢ではなく、問題そのものに目を置く
- 一回で正解を出さない。行き過ぎたと思ったら、もう一度坐って、若干戻す
- 判断の手順を固定しておく。そうすれば、外れても自分の判断として引き受けられる
心を高める、経営を伸ばす。決める前に手を止める手順は、心の側の話であり、同時に経営の側の話でもあると、この一段を読み直して思いました。
では、坐る時間はいつ取ればいいのか。次回は、同じ日に老師がもう一つ勧めていたこと、毎日、たとえ五分でも坐ってから会社へ行くという話です。
明日、一つだけやってみる
迷っている判断を一つ選び、案の長所短所ではなく、何が起きていて何に困っているかを紙に書く。決める前に手を止める自分なりの手順を、一つ決めてみてください。
よくある質問
Q. 坐禅をしないと、この方法は使えませんか。
老師が勧めているのは、坐ることです。この記事が借りたのは、決める前に、問題を見つめる手順を置くという形です。私の場合、それが紙に書くことでした。
Q. 見つめても、答えが出ないときはどうすればいいですか。
老師は、「よし、じゃあ右で行こう」と思えたら、それが、その人にとってその時点で最適な判断だと言っています。正しい答えを待ち続けるのではなく、決めて、進んで、行き過ぎたら直す。待ち続けることは勧めていません。
Q. 間違えたら、全部自分の責任というのは厳しくないですか。
そう聞こえるかもしれません。ただ老師の言い方は「思っておければいい」です。責められる話ではなく、手順を守った自分の判断として、結果を受け取れるという話だと読みました。
出典
- 坐禅会(2017年3月)の録音記録。老師の発言はこの記録による(録音の04:03〜05:10、および43:40前後)
- 引用は録音の文字起こしから。言いよどみや、文字起こしの明らかな誤変換で意味が取れない部分は「……」で省いた
- 「吸って吐いて一つ」の説明、「考える」と「見つめる」の違いの説明は、筆者の補足・読みです
- 大きな判断の前に紙に書く、という記述は筆者自身のものです
- 本文中に坐禅会の関係者・老師のお名前は記載していません
- 本記事は坐禅会の録音のみを素材としており、書籍は使用していません
- 本記事は特定の宗教を評価・推奨するものではありません
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