この記事でわかること
- 公案の分類が、理論ではなく実地の経験から生まれたこと
- 理致と機関は優劣ではなく「風を見て帆を使う」違いだという話
- 理屈が効かないとき、理屈を強めても効かない理由
前回で、『致知』の対談を読み切りました。
老師の書籍に戻ると、公案の分類についての一節があります。
分類の話ですが、分類の話ではありません。いま自分がどの段階にいるかを言い当てるための道具として、書かれています。理屈が効かなくなる段階がある。そのとき理屈を強めても、効きません。では、何を見ればいいのか。
公案は、分類されるべきものではない
書物は、まず否定から入ります。
厳密に言えば、公案は分類などされるべき性質のものではない。
理由も書かれています。
表面から見れば千差万別な公案も、内面から見れば同じく悟りの世界の表現である。
それでも、昔から分類されてきました。理致・機関・向上の三種に分けるやり方と、法身・機関・言詮・難透・五位十重禁等の五つに分けるやり方。
前者は日本では最初に聖一国師が用い、後者は近世の白隠禅師門下が用いた——と書かれています。
そして、分類の特徴がここで示されます。
これらの分類は修行の階級的順序によって公案を分けるところに特徴がある。
段階の順に並べてあるということです。
ここで書物は、自分で反論を置きます。禅の体験に段階を認めるのは不合理に思えるかもしれない、と。そのうえで——
実際には修行者を階級的に一歩ずつ引き上げてやる一面が絶対に必要であって、
続けて、こうあります。
公案を用いて指導する場合の実地の経験がこのような階級的方法を編み出させるに至ったのである。
理論から出てきた分類ではなく、実地の経験から出てきたということです。ここが大事だと思いました。
理致・機関・向上
三つの中身は、『大応国師法語』から引かれています。
この宗に三重の義あり、謂わゆる理致、機関、向上是れなり。
一つ目。
初の理致と云うは諸仏の所説、並に祖師の所示の心性等の理語なり。
理語——理屈の言葉です。
二つ目。
次に機関と云うは、諸仏祖師の真の慈悲を垂れて、謂わゆる鼻を扭り目を瞬ろがして、乃ち云う、泥牛空に飛び、石馬水に入る等是れなり。
泥の牛が空を飛び、石の馬が水に入る。理屈が通らない言い方です。
三つ目。
のちの向上と云うは、仏祖の直説、諸法の実相等謂わゆる天は是れ天、地は是れ地、山は是れ山、水は是れ水、眼は横、鼻は直等是れなり。
天は天、地は地。当たり前のことを、当たり前に言っているだけです。
図1 理致・機関・向上——三重の義。順に並べてあるところに特徴がある
義理で激励するか、義理にわたらない話を出すか
ここに、もう一つの引用が重ねられます。夢窓国師の『夢中問答』です。
理致と機関とはどういう意味か、という問いに対する答えが、こうなっています。
若し本分を論ぜば理致と名づけ機関と名づくべき法門なし。
本来は、分類などない。先に読んだ「分類されるべき性質のものではない」と同じことです。
ただし、と続きます。
しかれども方便の門を開いて宗旨を挙揚する時、義理を以て学者を激励する法門をば理致と名づく。
義理を以て激励する。理屈で説いて、相手を動かすやり方です。
或は棒喝を行じ、或は義理にわたらざる話頭をしめすをば機関と名づけたり。
棒で打ち、大声を出し、理屈にならない話を出す。こちらが機関です。
そして、この一文が置かれます。
是れ即ち風を見て帆を使ふ手段なり
風を見て、帆を使う。どちらが優れているかではなく、風次第だということです。
理致を貴ぶ者は、機関をきらう
『夢中問答』は、そのあとにこう書いています。
今時の学者の中に理致を貴ぶ者は機関をきらひ、機関を愛する者は理致をきらふ。
そして——
皆是れ祖師の手段を知らざる人なり。
どちらも、手段だと分かっていない人だと言い切っています。
理屈を重んじる人は、理屈にならない手を嫌います。逆に、理屈を飛ばす人は、理屈で詰めることを嫌います。どちらも、風を見ていない。
図2 風を見て、帆を使う——どちらが上かではなく、いまどちらの風かという話
理屈で詰めても、進まなくなった
私は基幹システムの導入を支援する仕事をしています。
いま、その仕事は基幹システムからAIへ移りつつあります。そして、まさにこの段階に入っていると感じています。
理屈で詰めても、進まない段階です。
基幹システムの話なら、理屈が効きました。いまの業務にこれだけ手間がかかっている。この仕組みならここが減る。投資はこれだけで、回収はこの期間。筋を通せば、話が前に出ました。
AIの話になると、同じ組み立てが効きません。
効率の計算は作れます。比較表も作れます。それを全部そろえても、動かないときは動かない。
では何が動かすのか。いまの私の実感は、これです。
理屈ではなく、欲望が動かなければ進まない。
やってみたい、面白そうだ、先に行きたい。そういうものが立ち上がったときに、話が進みます。筋の通った説明は、そのあとで役に立ちます。
理致が効かない風だった、ということ
この読み方をしたとき、腑に落ちたことがあります。
私はずっと、理致の側の人間でした。筋を通して説明することを、仕事の中心にしてきました。
それが効かないとき、私は説明を足していました。資料を増やし、比較を細かくし、前例を並べる。理致を強めることで、理致の不調を直そうとしていたわけです。
『夢中問答』の言い方を借りれば、これは風を見ていないということになります。
理屈が効かないのは、理屈が足りないからではありません。いまが機関の風だからです。
もちろん、だから理屈を捨てるという話ではありません。書物は、機関を愛する者が理致を嫌うことも、同じように退けています。
まとめ——いまどちらの風かを、先に見る
要点は三つです。
- 分類は、実地の経験から出てきた。理論で並べたものではなく、指導の現場が編み出したものでした
- 理致と機関は、優劣ではなく風の違い。風を見て帆を使う手段だと書かれています
- 効かないときに強めても、効かない。理屈が効かないのは、理屈が足りないからではありません
心を高める、経営を伸ばす。
高めるというのは、手を増やすことではないようです。いまどちらの風かを先に見て、手を選び直すこと。そういう読み方をしました。
では、実際にはどう坐るのか。次回は同じ書籍の第四章、坐禅の実行——具体的な作法の話です。
明日、一つだけやってみる
資料を増やしたい、比較を細かくしたいと思ったら、一度その手を止めて、相手がすでに理屈で納得しているのに動いていないのかを確かめてみてください。
よくある質問
Q. 分類されるべきでないものを、なぜ分類するのですか。
書物は、その矛盾を自分で引き受けています。
本来は分類などない。ただし、修行者を一歩ずつ引き上げるには階級的な方法が要った——という順番です。理屈で正当化せず、実地の経験から出てきたと書いているところが正直だと思いました。
Q. 「欲望が動かなければ進まない」は、経営として危なくないですか。
数字を見ないという話ではありません。
順番の話です。欲望が先に立ち上がり、筋の通った説明があとから支える。逆にすると、筋は通っているのに誰も動かないという状態が続きます。私はそれを長くやっていました。
Q. いまが理致の風か機関の風か、どう見分けるのですか。
私にできているのは、説明を足したくなったら疑うくらいです。
資料を増やしたい、比較を細かくしたいと思ったとき、それは理致を強めようとしています。相手がすでに理屈で納得しているのに動いていないなら、強めても届きません。
出典
- 山田耕雲『新版 禅の正門』(春秋社)第三章第二節。本文146〜147ページ
- 「厳密に言えば、公案は分類などされるべき性質のものではない」「表面から見れば千差万別な公案も、内面から見れば同じく悟りの世界の表現である」「これらの分類は修行の階級的順序によって公案を分けるところに特徴がある」「実際には修行者を階級的に一歩ずつ引き上げてやる一面が絶対に必要であって、公案を用いて指導する場合の実地の経験がこのような階級的方法を編み出させるに至ったのである」は、同書の記述
- 「この宗に三重の義あり、謂わゆる理致、機関、向上是れなり」以下の三つの定義は、同書が『大応国師法語』から引用しているもの
- 「若し本分を論ぜば理致と名づけ機関と名づくべき法門なし」「義理を以て学者を激励する法門をば理致と名づく」「或は棒喝を行じ、或は義理にわたらざる話頭をしめすをば機関と名づけたり」「是れ即ち風を見て帆を使ふ手段なり」「今時の学者の中に理致を貴ぶ者は機関をきらひ、機関を愛する者は理致をきらふ」「皆是れ祖師の手段を知らざる人なり」は、同書が夢窓国師『夢中問答』から引用しているもの
- 理致・機関・向上の三種が聖一国師によって、法身・機関・言詮・難透・五位十重禁等の五つが近世白隠禅師門下によって用いられたことは、同書の記述
- 同書はこの節について、朝比奈宗源老師が雄山閣発行『禅』(昭和十六年刊行)第三巻四九頁以下に説明したものの大要を祖述したと記している。本記事は同誌を直接参照したものではありません
- 「理致=理屈で説かれる層/機関=理屈が通らない層/向上=当たり前を当たり前に言う層」という言い換えは筆者の読みであり、同書の定義そのままではありません
- 引用はすべて、同書のスキャン原本を400dpiで展開して字句を確認した(本文146〜147ページ)
- 基幹システムからAIへの移行についての記述は、筆者自身の実感です。顧客名・案件名は記載していません
- 本記事は特定の宗教/宗派を評価するものではありません。記述はすべて同書に書かれている内容です
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