この記事でわかること
- 人の目ばかり気にすると、自分を見なくなるという話
- 謝るべきことは謝り、責任を取らない見方には振り回されない線引き
- 喧嘩せず、付き合いの輪を分けておくという付き合い方
前回は、苦手な相手の話を書きました。嫌な状況も止まってはいない、ただし次が来る。だから相手を替えるより、見る側を整える、という話です。
その「見る側」の話には、続きがあります。人からどう思われているかを、私たちはどこまで気にすればいいのか。
以前、よく見せようとすると手が止まる、という話を書きました。同じ日の坐禅会で、人の目について、もう一歩踏み込んだ言葉が語られていました。
手がかりは、責任を取るのは誰か、という一点です。
「外ばっかり見てるけど、自分を見てない」
坐禅を続けていると、相手が自分をどう思っているかが、だんだんどうでもよくなってくる。そういう話の流れで、こう語られていました。
今みんななんか人が自分をどう思って、自分が自分を見つめずに、人が自分なんて思ってるかばっかり、外ばっかり見てるけど、自分を見てないんですよね。
外ばかり見て、自分を見ていない。
人がどう思っているか。それを気にしているあいだ、目は外に向いています。自分がどうなのかを見る目は、そのぶん留守になっている。この一言は、そこを突いています。
「その人が自分の人生に責任を持ってくれる?」
続けて、こう語られています。
人はどう思おうとそんなことどうでもええじゃないかって思うんだけどね。
ただし、すぐにこう断っています。
だってその人はいろいろ、もちろん人に迷惑かけたり、悪いことしたら素直に謝るなり、それは別ですよ。
そのうえで、この一段の芯になる言葉が来ます。
だけど、自分がどう見られてるかっていうのはね、勝手に人がそう見てるわけですから、そのなんか悪口言われても、その人が自分の人生に責任を持ってくれる?
何の責任も取ってくれないわけですから……
悪口を言う人は、あなたの人生に責任を取らない。
どう見るかは、見る人が勝手に決めている。そして、その見方に合わせて生きたとしても、その人が自分の人生を引き受けてくれるわけではない。だから、そこに振り回される理由はない。そういう筋道です。
図1 人の目を、二つに分ける——謝るべきことは謝る。勝手な見方には、振り回されない
「喧嘩する必要もない」
では、悪口を言う人と、どう付き合えばいいのか。こう語られています。
別に喧嘩する必要もないし、ニコニコして、おはようございます、こんにちはとかやってればいいんだから……
気にしない、とは、喧嘩することではない。
言い返す必要もない。ニコニコして、挨拶をしていればいい。相手の見方を変えようとせず、自分の振る舞いは変えない。ここが、ただ無視するのとは違うところです。
付き合いの輪を、分けておく
話は、付き合いの輪へと続きます。
いちばん内側に、心を許せる人がいる。その外に、仲のいい友人がいる。その外に、普通の付き合いがある。そして、そのさらに外に、悪口を言ったり、告げ口に来たりする人がいる。
そういう人は、自分の世界の外にいる人だと思えばいい。そう思ったら、すごく楽になる、と語られていました。
図2 付き合いの輪——内側の声には耳を傾け、外側の声には振り回されない
私の場合——あまり気にならないが、輪はなんとなく
私は、人からどう見られているかは、あまり気にならないほうです。
付き合いの輪は、なんとなく分かれています。意識して分けているわけではありません。
坐禅会で語られた言葉に当てはめると、「なんとなく」の輪に、はっきりした線を引く話になります。どの声に耳を傾け、どの声には振り回されないのか。その線を、自分で知っておく。私はそう読みました。
経営に置き換えると
経営者は、いろいろな評価にさらされます。社員から、お客様から、業界から。中には、責任を持って言っているとは言えない声もあります。
気をつけたいのは、すべての声を同じ重さで受け取ってしまうことです。全部に応えようとすると、目は外ばかりに向き、自分を見る時間がなくなります。
語られていた筋道を借りれば、線は二本あります。一本は、迷惑をかけたことには素直に謝るという線。もう一本は、責任を取らない見方には振り回されないという線です。この二本を持っておくと、耳を傾けるべき声が、かえってよく聞こえるのだと私は考えます。
「人の意見を聞くな」という話ではありません
誤解されやすい点が、二つあります。
一つ目。人の意見を聞くな、という話ではありません。人に迷惑をかけたり、悪いことをしたりしたら素直に謝る、それは別だ、とはっきり断っています。耳を傾けるべき声は、あります。
二つ目。輪の外の人を敵と見なせ、という話でもありません。喧嘩する必要もない、ニコニコして挨拶していればいい、と語られています。振り回されないことと、突き放すことは別です。
まとめ——外を見る前に、自分を見る
- 人の目ばかり気にすると、自分を見なくなる。外ばかり見て、自分を見ていない
- 悪口を言う人は、あなたの人生に責任を取らない。ただし、迷惑をかけたら素直に謝る
- 喧嘩はしない。輪を分けておく。内側の声に耳を傾け、外側の声には振り回されない
心を高める、経営を伸ばす。人の目より先に自分を見ることは、心の側の話であり、経営の側の話でもあると、この言葉を読み直して思いました。
では、その「自分」が持っているものは、どこから来たのか。次回は、老師が一本の杖を手に取ったときの話です。
明日、一つだけやってみる
最近気になった声を一つ思い出し、迷惑をかけたことへの声か、責任を取らない勝手な見方かを分けてみてください。前者には素直に謝り、後者には挨拶だけで十分です。
よくある質問
Q. 人の評価を気にしないのは、独りよがりになりませんか。
坐禅会で語られた言葉では、人に迷惑をかけたり悪いことをしたりしたら、素直に謝るのは別とされています。気にしないのは、責任を取らない勝手な見方のほうです。
Q. 悪口を言う人とは、どう付き合えばいいですか。
喧嘩する必要もない、ニコニコして挨拶していればいい、と語られています。言い返さず、自分の振る舞いを変えない、という付き合い方です。
Q. 宗教的な話として受け取るべきですか。
坐禅会での話ですが、この記事が借りたのは、人の目より先に自分を見るという見方です。用語を外しても、見方は残ります。
出典
- 坐禅会(2019年10月)の録音記録。「人が自分なんて思ってるかばっかり、外ばっかり見てるけど、自分を見てないんですよね」「人はどう思おうとそんなことどうでもええじゃないか」「人に迷惑かけたり、悪いことしたら素直に謝るなり、それは別ですよ」「悪口言われても、その人が自分の人生に責任を持ってくれる?」「何の責任も取ってくれないわけですから」「喧嘩する必要もないし、ニコニコして、おはようございます、こんにちはとかやってればいい」(録音の55:25〜56:17前後)
- 付き合いの輪の話(心を許せる人/仲のいい友人/普通の付き合い/その外)と、「自分の世界の外にいる人だと思えば楽になる」は、同じ録音の発言(56:29〜56:58前後)を筆者が要約したもの。輪の外の人を指す言い回しは引用していない
- 話し手は、会に出席していた筆者も確定できなかったため(2026年9月確認)、発言者を特定せずに書いた
- 引用は録音の文字起こしから。言いよどみや、意味が取れない部分は「……」で省いた
- あまり気にならない、付き合いの輪はなんとなく分かれている、という記述は筆者自身のものです
- 本文中に坐禅会の関係者・老師・世話人の方のお名前は記載していません
- 本記事は特定の宗教を評価・推奨するものではありません
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