この記事でわかること
- うまくいった体験に執着すると、傲慢になりやすいという話
- 「上には上がある」と思えば傲慢にならない、という見方
- 我慢ではなく、次を楽しみにすることで傲慢を防ぐ意味
前回は、ニューヨークの地図の話を書きました。知っていることと、行ったことがあることは違う、という話です。私は、行ったことがあると言い切れる分野として、起業と会社経営を挙げました。
では、「行ったことがある」と思えたあと、人には何が起きるのか。
以前、本に書かれた「見えたあとの慢心」について書きました。坐禅会で老師は、その防ぎ方を自分の言葉で語っています。我慢ではなく、次を楽しみにすることで防ぐ、という話です。
「俺みたいなやつはいねえ」
老師は、深い体験をした人が陥りやすいところを、こう話しています。
要するに、ここまで来るとね、俺みたいなやつはいねえとこう思っちゃうんだよね。
どうしても人間ってやつはね、体験したことに執着してね。
体験したことに、執着する。
何かが本当に分かった。見えた。そうなると、人は「自分のような者は他にいない」と思ってしまう。老師は、それが人間というものだ、という言い方をしています。
そのうえで、ひと言で切っています。
ダメだね。
「もっと座ろうと」
では、どうするのか。老師はここで、自分自身のことを話し始めます。
起こしではこの一語が崩れていますが、修行に終わりはないと思っている、という趣旨です。そして、こう続けます。
例えば大悟徹底してもですよ。僕はね、いつももっと修行しようと。もっと座ろうと。
大悟徹底とは、禅でいう、深く悟りきることです。そこまで行っても、もっと座ろうと思う。老師はそう話しています。
「新しい玉手箱が開く」
この一段の芯は、次の言葉です。
座るとね、必ずね、何か新しい体験が来るんですよ。つまりね、新しいね、玉手箱が開くんですよね。
だから次の玉手箱を頼りに楽しみにですね、やろうと思っていると、傲慢になることはないと思いますね。
玉手箱は、ここでは、開けるまで中身が分からない箱のたとえです。
その理由も、老師は話しています。
だって次の玉手箱だからさ、次の玉手箱は開けてみないとわからないわけだから。今まで開けた玉手箱はいいですよ、当然。だけどもね、そこまで来たって、まだまだ上には上があるんだからさ。
次の箱の中身は、開けてみるまで分からない。分からないものがまだあると思っていれば、「全部分かった」とは思えない。だから、傲慢にならずに済む。
図1 一つ開けたあとの、二つの道——開けた箱に執着するか、次の箱を楽しみにするか
「僕の今の境涯です」
老師は、この話をこう締めくくっています。
次の玉手箱はどんな玉手箱が開くのかなと思って修行する方が傲慢にならなくていいと思いますね。というのは、僕の今の境涯です。
境涯とは、ここでは、その人がいま立っている心の境地のことです。
私が大事だと思うのは、老師がこれを人への教えとしてではなく、自分のいまの状態として語っていることです。修行を重ねてきた人が、自分はまだ次の箱を楽しみにしている、と言っている。
もう一つあります。老師が防ぎ方として挙げたのは、自分を戒めることではありませんでした。次を楽しみにしていれば、傲慢にならない、と言っています。我慢ではなく、楽しみの側から防いでいるのです。
私の場合——うまくいったときと、AIの活用
私が、自分は傲慢になりかけていると感じるのは、うまくいったときです。
老師の話に当てはめると、うまくいったときとは、玉手箱を一つ開けたときです。そして、老師が言う「体験したことに執着する」が起きやすいのも、そのときだと私は読みました。
いま、私が次に開けたい玉手箱を一つ挙げると、AIの活用です。
中身は、開けてみないと分かりません。老師の言い方を借りると、分からない箱が次にある、と思っていること自体が、傲慢の手前で止まる支えになるのだと思います。
図2 開けた箱と、次の箱——うまくいったときこそ、目を次の箱へ移す
経営に置き換えると
経営者にとって玉手箱を一つ開けたときとは、たとえば事業がうまくいったときです。
うまくいった体験は、大事な財産です。老師も「今まで開けた玉手箱はいいですよ、当然」と言っています。
気をつけたいのは、その体験に執着することです。うまくいったやり方を、次の場面にもそのまま当てはめたくなる。自分のやり方が分かった、と思ってしまう。そういうことは起こりえます。
そのときに、次の箱はまだ開けていないと思い出す。私は、老師の話をそういう使い方で受け取りました。
「喜ぶな」という話ではありません
ここは、二つの点で誤解されやすいところです。
一つ目。うまくいったことを喜ぶな、という話ではありません。老師は、開けた玉手箱は「いいですよ、当然」と言っています。喜ぶことと、執着することは別です。
二つ目。「まだ足りない」と自分を責め続けろ、という話でもありません。老師の言い方は「楽しみに」です。足りなさを責めるのではなく、次を楽しみにする。向きが逆です。
まとめ——次の箱を、楽しみに
- 人は、体験したことに執着する。そこで「俺みたいなやつはいない」と思ってしまう
- 次の玉手箱は、開けてみないと分からない。上には上がある、と思っていれば、傲慢にならない
- 我慢ではなく、楽しみで防ぐ。うまくいったときこそ、目を次の箱へ移す
心を高める、経営を伸ばす。次の玉手箱を楽しみにすることは、心の側の話であり、経営の側の話でもあると、この言葉を読み直して思いました。
老師は、自分のことを「頭悪いから」と言いました。では、通訳してくれる人は誰なのか。次回は、それは自分だ、という「他己」の話です。
明日、一つだけやってみる
最近うまくいったことを一つ思い浮かべ、そのやり方を次もそのまま当てはめようとしていないか確かめてみてください。そのうえで、次に開けてみたい箱を一つ書き出してください。
よくある質問
Q. 「玉手箱」とは、何のたとえですか。
ここでは、開けるまで中身が分からない箱のたとえとして使われています。座ると新しい体験が来る。それを、新しい玉手箱が開く、と老師は言っています。
Q. うまくいっているときは、どう気をつければいいですか。
老師の言葉では、次の玉手箱はどんな箱が開くのかな、と思うことです。開けた箱ではなく、次の箱に目を向ける。私はそう読みました。
Q. 宗教的な話として受け取るべきですか。
老師は修行の話としてこれを語っていますが、この記事が借りたのは、次があると思っていれば、傲慢にならないという見方です。用語を外しても、見方は残ります。
出典
- 坐禅会(2016年4月)の録音記録。「俺みたいなやつはいねえとこう思っちゃうんだよね」「体験したことに執着してね」「ダメだね」「いつももっと修行しようと。もっと座ろうと」「新しいね、玉手箱が開くんですよね」「次の玉手箱は開けてみないとわからないわけだから」「まだまだ上には上があるんだからさ」「というのは、僕の今の境涯です」は老師の発言(録音の44:47〜46:06前後)。書籍の朗読のあとの、老師自身の説明の部分
- 話者は、会に出席していた筆者が確認した(2026年9月)
- 起こしで崩れている一語(修行に「……」はない)は引用せず、趣旨を書いた。文字起こしの「第五徹底」は、前後の文脈から「大悟徹底」と判断して表記した
- 引用は録音の文字起こしから。言いよどみや、意味が取れない部分は「……」で省いた
- 「大悟徹底」「玉手箱」「境涯」の説明は、筆者の補足です
- うまくいったとき、AIの活用、という記述は筆者自身のものです
- 本文中に坐禅会の関係者・老師・世話人の方のお名前は記載していません
- 本記事は坐禅会の録音のみを素材としており、朗読された書籍の本文・手紙は引用していません
- 本記事は特定の宗教を評価・推奨するものではありません
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