この記事でわかること
- 理解しようとする論理では届かない話の、聞き方
- 流す、引っかかる、確かめる——三つで一つになる聞き方
- 引っかかったものの良し悪しを、自分で決めずに確かめる意味
前回は、在家の人に説かれた教えが三つだけだった、という話を書きました。伝える側が、芯だけを言うという話です。
では、受け取る側は、どう聞けばいいのか。
以前、2018年の冬の接心で、提唱がほとんど分からなかったと書きました。接心とは、数日間こもって集中的に坐る修行です。提唱とは、禅の古典を講じる講話を指します。
あとで録音を読み直すと、その提唱が始まる前に、聞き方そのものが語られていました。流して、引っかかったものだけを持ち帰り、それを確かめる、という聞き方です。
「理解しようと思ったら別の話なんですよ」
提唱の冒頭で、こう語られていました。
我々こういう話を聞こうとすると、まあ大学の先生のね、講義とか、大学じゃなくてもですよ、小学校の先生の話を聞くとなると、何を言おうとしてるのか理解しようと思いますよね。
ここまでは、誰でもそうです。話を聞くとは、理解しようとすることだと、私たちは思っています。
ところが、続く言葉はこうです。
ところがね、これはね、理解しようと思ったら別の話なんですよ。ですから、理解しようというこっちの世界の論理で聞いて……もわからないんですよ。だからそんな無駄なことはしない。
理解しようとする聞き方そのものを、いったん置く。
「こっちの世界の論理」とは、筋道を追い、言葉を分解して、納得しようとする頭の使い方のことだと、私は読みました。その論理で聞いても分からない種類の話がある、という前置きです。
右の耳から、左へ流す
では、どう聞けばいいのか。こう続きます。
要するに、右の耳から聞いて左の穴に流す。で、何か自分にこの心の琴線に触れるものがあれば……
流す。そして、心の琴線に触れたものが残る。
琴線(きんせん)とは、心の奥にある、感じやすい部分のたとえです。全部をつかもうとしない。流れていく中で、自分に触れたものだけが引っかかる。
この聞き方は、引っかけに行くのではないのだと、私は読みました。流しているうちに、勝手に引っかかる。その順番になっています。
良し悪しは、自分で決めない
この聞き方には、もう一段あります。
それはいいのか悪いのかは自分にはわかりませんから……
引っかかったものが、正しいかどうか。それは自分には分からない。だから、指導する人に聞く。こういう聞き方にしてみてほしい、と続きます。
流す。引っかかる。確かめる。三つがそろって、一つの聞き方になっています。
図1 三つで、一つの聞き方——流す、引っかかる、確かめる
分からなくても、恥ずかしくない
同じ場面では、こうも語られていました。
皆さんわかんなくてちっとも恥ずかしいことないんで、わかんなかったらこんなこと聞いて笑われるんじゃないかって思わずに、何でも聞いた方が得ですし、何でもお聞きになったらいいと思います。
そして、こう締めくくられています。
のんびり理解しようと急がないでください。
分からないことを、恥ずかしがらない。そして、急がない。
三つ目の「確かめる」が機能するのは、聞くことを恥ずかしいと思わない場があるからです。聞き方の話は、そのまま場の話でもあると、私は読みました。
私の場合——引っかかった所だけ持ち帰る
私は、研修やセミナーで話を聞くとき、引っかかった所だけ持ち帰るほうです。
以前書いたとおり、あの日の提唱は、ほとんど分かりませんでした。ただ、冒頭で語られていた聞き方に照らすと、分からなかったこと自体は、聞き方として外れていなかったのかもしれません。
経営に置き換えると
経営者は、話を聞く機会の多い立場です。研修、セミナー、勉強会、本。どれも、全部を理解しようとすると疲れます。
全部を理解しようとした結果、何も残らないこともあるのではないか、と私は思います。
流して、引っかかったものだけを持ち帰る。そのうえで、それが本当に正しいのかを、分かっている人に確かめる。三つ目まで含めて、一つの聞き方です。二つ目で止めると、自分の好みだけが残ってしまう、と私は考えます。
図2 二つの聞き方——全部をつかもうとするか、流して引っかかったものを持ち帰るか
「真面目に聞かなくていい」という話ではありません
ここには、誤解されやすい点が二つあります。
一つ目。聞き流していい、という話ではありません。流すのは、理解しようとする力みのほうだと、私は読みました。聞くこと自体は、やめません。流しているあいだも、琴線に触れるものを待っています。
二つ目。引っかかったものが正しい、という話でもありません。良いか悪いかは自分には分からないから、指導する人に聞く、と語られています。引っかかることと、正しいことは別です。
まとめ——流す、引っかかる、確かめる
- 理解しようとする聞き方を、いったん置く。その論理で聞いても分からない話がある
- 右の耳から聞いて、左へ流す。心の琴線に触れたものが残る
- 良し悪しは、自分で決めない。分からないことは、恥ずかしがらずに聞く
心を高める、経営を伸ばす。全部を理解しようとしないほうが、自分に届くものが残ると、この言葉を読み直して思いました。
では、伝える側は、自分の考え方をどう示せばいいのか。次回は、そのことについて坐禅会で語られた言葉を取り上げます。
明日、一つだけやってみる
次に研修や本に触れるとき、全部を理解しようとせず、引っかかった所だけをメモしてみてください。そのうえで、それが正しいかを分かっている人に一つ聞いてください。
よくある質問
Q. 「提唱」とは何ですか。
禅の古典を講じる講話のことです。坐禅会の接心では、禅の問答集の一つを題材に行われていました。
Q. 研修でメモを取って、全部理解しようとするのはよくないのですか。
この記事は、それを否定していません。語られていたのは、理解しようとする論理では届かない種類の話がある、ということです。そういう話を聞くときの一つの聞き方として、流して、引っかかったものを確かめる、という方法が示されていました。
Q. 宗教的な話として受け取るべきですか。
坐禅会での話ですが、この記事が借りたのは、流す、引っかかる、確かめるという聞き方です。用語を外しても、聞き方は残ります。
出典
- 坐禅会 冬の接心(2018年2月)の提唱の録音記録。「我々こういう話を聞こうとすると……理解しようと思いますよね」「ところがね、これはね、理解しようと思ったら別の話なんですよ……だからそんな無駄なことはしない」「要するに、右の耳から聞いて左の穴に流す。で、何か自分にこの心の琴線に触れるものがあれば」「それはいいのか悪いのかは自分にはわかりませんから」(録音の04:36〜05:20前後)
- 同じ録音の「皆さんわかんなくてちっとも恥ずかしいことないんで……何でもお聞きになったらいいと思います」(04:11前後)、「のんびり理解しようと急がないでください」(06:13前後)
- 上記はいずれも会話の中の発言で、話者を確定できないため、発言者を特定せずに書いた(会に出席していた筆者も確定できなかった。2026年9月確認)
- 良し悪しを「指導する人に聞く」とした部分は、聞く相手を指す語が文字起こしで崩れているため、筆者が要約した
- 引用は録音の文字起こしから。言いよどみや、意味が取れない部分は「……」で省いた
- 提唱がほとんど分からなかった、研修やセミナーでは引っかかった所だけ持ち帰る、という記述は筆者自身のものです
- 本文中に坐禅会の関係者・老師・世話人の方のお名前は記載していません
- 本記事は特定の宗教を評価・推奨するものではありません
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