夜の9時、ようやく自分の机に向かう。日中は打ち合わせと相談で埋まり、自分の仕事は誰もいなくなってから。中堅・中小企業の経営者から、ベンチャーネットはこの話をよく聞きます。
社員に任せられる仕事は、もう任せている。それでも社長の予定表だけが埋まっていく。この記事では、その忙しさの正体を分解し、社長自身の仕事から手放す順番を考えます。
会社でいちばん忙しいのは、たいてい社長本人
中小企業では、社長がいちばん働いている会社が少なくありません。
朝いちばんに出社し、最後に会社を出る。土日にたまった資料を読む。移動中にスマートフォンで返信を打つ。「経営者だから当たり前」と言われれば、それまでです。
けれど、この状態が続くと困ることがあります。社長の時間が、いちばん先に売り切れるからです。
新しい取引先に会いに行く時間。値付けを考え直す時間。次の一手を決める時間。どれも社長にしかできない仕事なのに、日々の対応でその枠が埋まってしまう。忙しさの問題は、体力ではなく、経営の順番を決める時間が残らないことにあります。
忙しさの正体は「判断」ではなく、判断の前ごしらえ
では、社長の一日は何で埋まっているのか。分解してみると、あることに気づきます。
- 上がってきた見積もりが、これで妥当かを確かめる
- 関係者の予定を突き合わせて、打ち合わせの日程を決める
- 送られてきた資料に目を通し、論点を拾い出す
- 返信の下書きを書き、送る前に文面を整える
どれも「判断」に見えます。しかし正確には違います。これらは判断そのものではなく、判断の前ごしらえです。
見積もりの妥当性を判断するのは一瞬です。時間がかかっているのは、比べるための数字を集め、前回の条件を探し、並べ直す作業のほう。日程を決めるのも一瞬で、時間を食うのは候補を突き合わせる往復です。
判断は、材料が揃っていれば数分で終わります。社長の一日を埋めているのは、その材料を揃えるまでの時間です。
そしてこの前ごしらえは、社員に頼みにくい性質を持っています。断片的で、都度発生し、頼む説明のほうが手間に見える。だから社長の手元に残り続けます。
図:社長の一日を埋めているのは、判断そのものではなく判断の前ごしらえ。材料が揃えば判断は数分で終わる。
「4つの問い」を、社長自身の仕事に当てる
ここからが本題です。前ごしらえを手放す相手として、ベンチャーネットが「バーチャル社員」と呼んでいる存在があります。指示を受けて自分で作業を進めるAIエージェントに、実質上の社員として仕事を持ってもらう考え方です。この呼び名の由来は『バーチャル社員はAIエージェントになった』に書きました。
任せる仕事の選び方は、すでに一つの記事にしています。最初に任せる仕事を選ぶ4つの問いです。ここでは新しい基準を増やさず、同じ4つの問いを、社長自身の机の上に当てます。
問い1:繰り返し起きる仕事か
日程調整、見積もりの確認、定例の資料の下読み。社長の前ごしらえは、意外なほど毎週同じ形で起きています。
問い2:何を見て判断しているか、言葉にできるか
「前回はこの条件だった」「この取引先は納期を優先する」。社長の頭の中にある材料を、言葉と資料にできるか。ここが最大の関門です。
問い3:間違えたとき、人が戻せるか
下書きや案の段階で、社長自身が目を通す形なら安心です。社長の手元にある仕事は、最後に本人が見るので、この条件を満たしやすいという利点があります。
問い4:「終わった」と言える状態を、言葉にできるか
「見積もりの比較なら、前回条件との差額と、単価が動いた項目が一覧になっていれば完了」。このように言えるかどうかです。
手放すのは判断の準備で、判断そのものではない
4つの問いを自分の仕事に当てると、線が一本引けます。
前ごしらえ(材料を集める、並べる、下書きする)は渡せる。判断(決める、責任を取る)は渡さない。この線は、ベンチャーネットが記事『AIに任せる仕事、手放してはいけない仕事』で書いてきた考え方と同じです。
大事なのは、手放す目的が「楽をする」ことではない点です。前ごしらえの時間を減らすと、判断に使える時間が増えます。急かされて決めていたことを、材料を見て決められるようになる。手放す先にあるのは、判断の質です。
図:社長の仕事に引く一本の線。前ごしらえはバーチャル社員へ渡し、決めることと責任は経営者に残す。
問いに答えられない仕事は、社員にも渡せていない
ここで、多くの経営者が同じところでつまずきます。問い2と問い4に答えられないのです。
「なんとなく、経験で判断している」。それ自体は経営者として自然なことです。ただ、言葉にできない仕事は、AIどころか、次に入る社員にも渡せません。社長の手元に仕事が残り続ける本当の理由は、そこにあることが多いのです。
裏を返せば、4つの問いに答える作業は、そのまま社長の頭の中を引き継ぐ準備にもなります。任せる相手がAIか人かにかかわらず、通る道は同じです。
なお、お金の支払い・契約・人事評価・社外への送信は、最初の1本にしません。社長の仕事にはこの領域が多く含まれますが、そこは後回しでかまいません。
社長が試し、うまくいった型を社員へ広げる
社長の仕事から始めることには、中小企業ならではの利点があります。
説得がいりません。 自分の仕事を自分で試すので、社内の合意も稟議も不要です。うまくいかなくても、影響は自分の机の上にとどまります。
社長が任せ方を体で覚えます。 一度自分でやってみると、「言葉にできていない仕事は渡せない」という感覚がつかめます。この感覚を持った社長が「これをAIで」と言うのと、持たないまま言うのとでは、社内の進み方がまったく違います。
うまくいった型だけを渡せます。 社長の手元で回った1本は、頼み方も、確認の仕方も、すでに固まっています。それを社員に渡すのは、白紙から始めるより格段に楽です。
ベンチャーネット自身も、最初に任せたのは議事録の整理でした。小さな1本が回ってから、提案書の下書き、資料づくりの下ごしらえへと広げてきました。順番としては、社長の机の上から始めるのが現実的だと考えています。
そして浮いた時間の使いみちですが、ベンチャーネットの場合は、どうやったらお客様と出会えるか、次のサービスは何かを考える時間に充てています。前ごしらえを手放して空いた枠に、また別の作業が入ってきては元の木阿弥です。
何に使うかを先に決めておくこと。これが、経営者の仕事とは何かという問いへの、道具の側からの答えになります。
よくある質問と、つまずきやすいパターン
Q. 秘書やアシスタントを雇うのと、何が違いますか
やってもらうことは似ています。違うのは、始め方と抱えるものです。人を採る場合は、募集し、選び、教える時間がかかり、月々の固定費を抱えます。バーチャル社員は、1本の仕事から今週試せます。人を採らない、という話ではありません。採る前に、渡せる形になっているかを確かめられる、という順番の話です。
Q. 経営の数字や取引条件を扱わせて、大丈夫ですか
扱う情報の範囲は、社長自身が決めます。まずは社内で完結し、外に出る前に本人が確認する仕事から始めるのが安全です。契約書の内容や人事評価など、影響が大きく戻しにくいものは最初に選びません。
Q. AIを触る時間すら、いまはありません
その状態は珍しくありません。だからこそ、最初の1本は小さく選びます。毎週必ず起きて、失敗しても戻せて、社長がすでにやり方を説明できる仕事。それを1本だけ。仕組みを整えるところから始めようとすると、着手そのものが先送りになります。
つまずきやすいのは、次のパターンです。
- 忙しさの大きい順に手をつけ、いちばん複雑な仕事から任せてしまう
- 前ごしらえだけでなく、判断まで委ねてしまう(決めるのは経営者です)
- 社長の手元で回った1本を、社内に共有しないまま自分だけで抱える
まとめ:社長の机の上から、順番を取り戻す
中小企業でいちばん忙しいのは、たいてい社長本人です。その忙しさの多くは、判断ではなく判断の前ごしらえで占められています。
手放すのは、その前ごしらえ。4つの問いを自分の仕事に当て、繰り返し起きて、判断のよりどころを言葉にできて、間違えても戻せて、終わりを言い切れる仕事を1本だけ選ぶ。判断と責任は、変わらず経営者の手元に残します。
1本が回り始めたら、次は業務として定着させる段取りです。そこはひとつの業務が移るまでの最初の1か月で書いています。
とはいえ、自分の仕事を切り分けるのは、自分ひとりではやりにくいものです。長年やってきた手順ほど「当たり前」に見えて、言葉にする対象として目に入りません。第三者に「それは何を見て決めているのですか」と聞かれて、はじめて輪郭が出ることのほうが多いのです。
社長の一日を一緒に棚卸しし、最初の1本を決める。ベンチャーネットは、自社で同じことを試してきた実感を持って、そこからご一緒します。AIと共に経営を変える伴走についても、お気軽にご相談ください。


