AIを入れたのに、新しいことが始まらない
AIを導入して、たしかに楽になった。見積書の下書きも、議事録も、資料づくりも、以前より速く終わるようになった。
それなのに、いつか始めるはずだった新しいことが、今月も始まっていない。新規事業。新商品の開発。手薄だった営業の強化。後回しにしてきた業務の立て直し。
「余裕ができたら着手しよう」と考えていたはずです。AIで効率化すれば、余裕は生まれるはずでした。ところが、その余裕がいつまで経ってもやって来ない。
ベンチャーネットがご相談を受けるなかでも、この声は増えています。そして実は、これは中小企業だけの現象ではありません。日本で最もAI活用が進んだ会社のひとつが、まったく同じ壁にぶつかり、率直にその顛末を公開しています。
日本有数のAI企業でも、同じことが起きた
DeNAは2025年2月、「AIオールイン」を宣言しました。約3,000人で運営している既存事業をAIで徹底的に効率化し、半分の人員で維持ではなく成長させる。そして浮いた半分の人員で、新規事業を数多く立ち上げる——という計画です(出典:DeNA公式オウンドメディア「フルスイング」掲載の講演書き起こし)。
1年後の2026年3月、南場智子会長は結果を公表しました。
効率化そのものは、大きく進みました。法務のリーガルチェックは90%の効率改善。QA(品質保証)は半分の工数で同じ成果。ライブ配信サービスの審査業務は60%削減。開発では、作業の95%をAIが担い、生産性が20倍になったプロジェクトもあったといいます。
ところが、です。本命だった新規事業への人材シフトは、想定したほど進みませんでした。
理由が示唆に富んでいます。AIで一つの仕事にかかる工数が減ると、社員は空いた時間に「やりたくてもできなかったこと」を自分でどんどん詰め込んでいく。「人が浮いてきました」と自ら申し出る人は、誰もいない。放っておくと、みんな次の仕事を取りに行ってしまう——。
サボっていたのではありません。むしろ逆です。真面目な人ほど、生まれた余白を自分の判断で仕事に変えてしまったのです。
余白は、放っておくと消費される
この現象は、DeNA固有のものではありません。仕事には、与えられた時間いっぱいまで膨らむ性質があります。古くから「パーキンソンの法則」として知られてきた経験則です。
大切なのは、これが怠慢の問題ではなく、真面目さの帰結だという点です。怠慢なら管理で正せます。しかし真面目さが原因である以上、「余裕ができたら新しいことを」という期待は、個人の自覚に頼っている限り、構造的に裏切られ続けます。
中小企業には、この罠のよく効く変種があります。「兼務で新規事業」です。
現業を持ったまま、新しいテーマを「合間にやってくれ」と任せる。すると何が起きるか。締め切りと顧客のある現業が、必ず勝ちます。新規事業は「重要だが緊急でない」枠に押し出され、気づけば半年、何も動いていない。担当者の能力の問題ではなく、順序の問題です。
先に動かす——不足が、工夫を生む
1年の実験を経て、南場会長が出した結論は明快でした。「先に動かす」。人が浮いてくるのを待つのではなく、先に人を新しい仕事へ移してしまう。それくらい大胆な決断が要る、という総括です。
つまり、順序を反転させるのです。
これまでの発想は「①効率化する→②人が浮く→③新しいことをやる」でした。これが機能しないことは、DeNAが1年かけて確かめてくれた通りです。
機能する順序はこうです。①動かす先を決める→②人を先に移す→③残った側に不足が生じる→④不足を埋めるために、AI活用が本気で進む。
ポイントは③です。人が抜ければ、残った側は困ります。今までのやり方では回らない。だからこそ、業務の仕分けが真剣になり、「これはAIに任せられないか」という工夫が、掛け声ではなく必要に迫られて始まります。不足こそが、変化のエンジンになるのです。
図:人材シフトの順序。効率化から入る順序では余白が日常に消費される。人を先に移して不足を作る順序が、AIで回す工夫を本気にする。土台として、全体の枠をトップが示す。
DeNAでは仕組みの面でも、マネージャーの評価に「人材の輩出」を組み込む方針が示されました。人を抱え込んだ管理職ではなく、人を送り出した管理職が評価される。不足を作ることを、組織として奨励する設計です。
中小・中堅企業版の実践ステップ
「3,000人の会社の話だろう」と思われたかもしれません。しかし構造は、30人の会社でも同じです。むしろ小さい会社ほど、社長の一存で「バサッと動かす」ことができます。
ただし、ステップの前に土台がひとつあります。全体の設計図を、トップが自分の言葉で示すことです。
設計図といっても、立派な計画書は要りません。ブログでも、社員へのメールでも構いません。自分の考えと方針を、文章に起こすのです。AI時代の良いところは、書くことの支援ならAIがいくらでもしてくれる点です。「文章が苦手だから」という言い訳は、もう成り立ちません。
書いたら、まず自分で読み返します。すると気づくはずです。書くことは、自分の頭の中の見える化であり、読み返すことは、わかる化です。会社をどこへ向かわせたいのか。現業と新しい挑戦はどうつながるのか。文章にして初めて、自分の方針の曖昧な箇所が見えてきます。
そのうえで、社員に発信します。DeNAの取り組みが1年で軌道修正までたどり着けたのも、最初に「半分の人員で現業を伸ばし、残り半分で新規事業をやる」という明快な枠が全社に示されていたからです。全体の枠の構造をトップが作り、その中では自由に動いてもらう。 枠がないまま人だけを動かすと、残った側には「なぜ急に苦しいのか」の不満が残り、移った側には「何のための異動か」が欠けます。逆に枠さえ明確なら、細かい指示は要りません。
そのうえで、ベンチャーネットが考える中小・中堅版のステップは四つです。
第一に、動かす先を決めること。 新規事業とは限りません。手薄な営業、新商品の開発、放置されてきた原価管理の立て直し。「人さえいれば進むのに」と思ってきたテーマなら、何でも動かす先になります。
第二に、エースを先に移すこと。兼務にしないこと。 1人からで構いません。ただし「余った人」ではなく、現業が最も困る人を移すのが肝です。エースが抜けるからこそ、残った側に本物の不足が生まれ、業務を仕分ける本気度が変わります。兼務は、現業が必ず勝つ構造なので避けます。
第三に、残った業務を仕分けて、AIに移すこと。 不足を根性で埋めては、ただの負担増で終わります。抜けた人がやっていた仕事を書き出し、「人にしかできないこと」と「型にできること」に分け、後者をAIエージェント——私たちの言い方では「バーチャル社員」——に移していきます。この移管の実務は、別の記事で詳しく解説しています。
第四に、戻りを防ぐこと。 一番多い失敗は、繁忙期に「やっぱり戻ってきてくれ」と呼び戻すことです。DeNAが評価制度で戻りを防ごうとしたように、中小企業では社長が「戻さない」と決め、それを公言することが仕組みの代わりになります。
正直に言えば、②は怖い決断です。エースが抜けた現場は、一時的に確実に苦しくなります。その苦しさを見込んだうえで、それでも先に動かす。ここだけは、AIには決められません。
この怖さは、一人で抱えると決断が鈍ります。逆に、エースが抜けた後も業務が回る絵が先に見えていれば、怖さは半分になります。そしてその絵(残る業務の仕分けと、AIへの移管の設計)は、毎日その業務の中にいる人ほど、かえって描きにくいものです。外の目がひとつ入ると、仕分けは思いのほか進みます。
順序を変える決断は、経営者にしかできない
AIは、業務を効率化してくれます。しかし、生まれた余白を何に使うかまでは決めてくれません。放っておけば、余白は日常に飲み込まれていきます。
だからこそ、順序の決断が要ります。どんな枠を描き、誰を、どこへ、先に動かすか。その結果生じる不足を、どう設計で埋めるか。判断と責任が最後まで人に残るように、この決断も経営者にしか下せません。
そもそもその業務は行うべきなのか、という一つ手前の問いについては別の記事で書きました。また、AI導入後にかえって増える「判断の負荷」への向き合い方も、あわせてお読みいただくと立体的になるはずです。
もし、「動かしたい先はあるが、残った業務が回る絵が描けない」という状態でしたら、ベンチャーネットにお声がけください。私たちは、NetSuiteのデータと生成AIを組み合わせた経営革新の伴走を通じて、業務の仕分けから、バーチャル社員で回る設計まで、外の目としてご一緒します。
よくある質問
Q. 社員10名程度の会社でも、この順序は当てはまりますか?
A. 当てはまります。むしろ決断が速い分、小さい会社ほど有利です。1人を半日分だけ新しいテーマに移す、という規模から始められます。ただし兼務ではなく「この時間は現業をやらない」と枠で区切ることが条件です。
Q. エースを移して、現業の品質が落ちたらどうしますか?
A. 一時的な低下は織り込むべきコストです。重要なのは、低下を根性でなく設計で埋めること。エースの業務を書き出し、型にできる部分をAIに移し、人にしか残らない部分だけを再配分します。この仕分けを移動の前に始めておくと、低下の谷は浅くなります。
Q. 移す人は、どう選べばよいですか?
A. 「いなくなると現業が最も困る人」が第一候補です。困るからこそ本物の不足が生まれ、残った側の工夫が本気になります。逆に「余っている人」を移すと、現業は何も変わらず、新しいテーマも進みません。


