先の記事「当たり前は、そのまま武器になる」で、世の中を見る三枚のレンズを扱いました。
ただ、見方が手に入っても、落ち着かない感じは残ります。私がそうでした。
今回の材料は、講義ではありません。十年以上前の年末、岡本吏郎先生が自社の社員に向けて話した会議の録音です。マンスリーCDとして配られたのは、その場の音そのものでした。
ですから語り口は率直で、ところどころ厳しい。私たちは教わる側ではなく、他人の会社の年末会議に立ち会う側として、これを聞くことになります。
その場で先生は、不安の消し方を一つだけ挙げました。手を増やすことではありませんでした。
資格をいくつ持っているか、本人も覚えていない
先生は、その場にいた一人に向かって尋ねます。学生時代にずいぶん資格を取ったそうだが、いくつ持っているのか、と。
本人は答えられませんでした。数が多すぎて、覚えていないのです。
先生の指摘は、数の多さではなく、その先にありました。持っている資格が何か本人も覚えていない。しかも、名前を言われた側も反応できない。
税理士のように名前で通じる資格なら、相手は反応できます。しかし聞いたことのない資格をいくつ並べても、相手の中では何も起きません。
学校の先生に言われるまま取った、というのがその場の事情でした。取らせた先生も喜んだだろう、という言い添えもありました。
先生の言葉は厳しいものでした。役に立たないとは言わないけれど、一つ一つが浅い、と。
浅いまま歩いていると、何をやってもいつも浅い。だから、何か一つをぐいと深く掘ることが要る——先生はそう続けます。
ここで「深掘り」という語が出てきます。この記事では、一つの対象を、人が普通は止めるところより先まで調べ、確かめ、身につけることを指します。
税理士試験はそれに当たるのか、という自問も、その場で出ています。答えは、もはやそうではない、でした。受かるためのノウハウが整いすぎて、深く掘る種類の試験ではなくなった、という見方です。
大事なのは資格の種類ではなく、一つのことをどれくらい深く掘れたか。その一点だと先生は言います。
図1 浅く広く/深く狭く——深さそのものではなく、掘り方が次に持ち越される
人は、過剰な生き物である
なぜ、浅いまま数を増やしてしまうのか。先生の話は、資格からいったん離れて人間そのものに向かいます。
「だけど、我々人間っていうのは過剰な生き物なんでね、非常に過剰な生き物です。」
典型は自己評価だ、と続きます。自分の評価が過剰でない人はいない。「だから、過大評価か過小評価のどっちかなんです。」
過剰さは自分にだけ向くのではありません。他人に対しても同じで、事実のほうは見ていない。夫婦でも同じことが起きる、という例まで挙がります。
では、その過剰さはどこから出るのか。順序をたどれば、答えはすぐに出る——先生はそう言って、不安を挙げました。
そして、不安と恐怖については、はっきりと限界を引いています。「人間ってのはもう不安感と恐怖感というのはもう、なくせない。」生まれたときから持つものだ、と。
不安の大きい人は、過剰に反応する。強く言いすぎるのも過剰で、逆に黙って我慢するのも過剰です。言うべきことを、どのくらい真ん中で言えるか。そこが問われます。
私はこの並びを読んで、順番が逆だったと気づきました。過剰な振る舞いを直そうとしていたのです。直すべきは振る舞いではなく、その手前にある不安のほうでした。
図2 不安 → 過剰さ → 過大評価・過小評価——手前に戻らないと、振る舞いは変わらない
不安を消すのは、深掘りしかない
では、不安はどうやって消すのか。その場でも、まさにその質問が出たようです。
先生の答えは短いものでした。
「今の文脈で言えば、不安を取る方法ってのは、それは深堀しかないんです。」
送り仮名は、録音のとおりに残しています。
続けて、こう言います。「深く掘って深く掘ってる人ほど、どしっとして不安ってのは少ないもんです。」
ここから話は経営に移ります。次々に新しい手を打って、売上を上げようと躍起になっている経営者がいる。先生の見立ては、私の予想と逆でした。
そういう経営者ほど、「すごい大きい不安を持ってるんです」。
不安が大きいから動く。動いても不安は減らないから、また次の手を打つ。手数は不安の治療ではなく、症状のほうだった、ということになります。
反対に、不安の少ない経営者はやいのやいの動かない。売るための工夫も、過剰にはやらない。
別の場面でも、先生は同じ結論に戻ってきます。予測できる方法はあるか、と自分で問いを立てて、深掘りするしかない、と答える。そして「それ以外に方法はない。」と切ります。
理由も添えられています。経済が拡大している時代なら、少しくらい浅くても通っていました。人が増え、消費が増えるなら、薄いままでもどうにかなった。その前提が消えた、という話です。
図3 手数を増やす道と、深く掘る道——前者は円を描き、後者は下へ伸びる
私は、掘らずに手数で散らしていた
この箇所を読んだとき、私は自分のことを言われていると感じました。
学び方を変えた時期に、私には一つの型ができています。広げて、絞って、行動する。覚えることをやめ、間違えた原因のほうと向き合う形に変えたときに、学ぶことが初めて面白くなりました。
型は残りました。ところが、その後の私は、その型を都合よく使い分けていたと思います。
坐禅や易のように、すぐには結果の出ない学びがあります。私はそれを、結果が見えないという理由で後回しにしてきました。手早く成果の出るやり方のほうへ、先に手が伸びていたのです。
言い方を変えれば、掘らずに手数で散らしていました。一つ一つの選択が大きいと分かっていながら、すぐに結果が出ないから意味がないのではないか、と考えていたわけです。
これは、先ほどの見立てにそのまま当てはまります。手数が多かったのは、私の不安が大きかったからでした。
救いになったのは、先生自身の言い添えです。自分が深く掘っているように聞こえるかもしれないが、自分もまだ掘っている途中だ、と断っています。
掘り終えた人が、掘っていない人に説教している場面ではありませんでした。掘っている途中の人が、掘っていない人に向かって、同じ側から話している場面です。
深掘りをめぐる、三つの誤解
私自身がつまずいたところを含めて、三つ挙げます。
一つめは、深掘りとは対象を一つに絞ることだ、という誤解です。
これは範囲の話ではなく、掘り方の話でした。一つのことを深く掘れた人は、次に別のものを見ても、やはり深く掘る。同じ価値観で向き合うようになるからだ、と先生は説明します。
だから、何を選ぶかで悩んで止まる必要はありません。持ち越されるのは、対象ではなく掘り方のほうです。
二つめは、不安はなくせる、という誤解です。
先生ははっきり、なくせないと言い切っています。生まれたときから持つものだからです。
消えるのは不安そのものではなく、そこから出てくる過剰さの量でした。ここを取り違えると、不安が残っていること自体を失敗だと感じてしまいます。
三つめは、動けば不安は減る、という誤解です。
事実は逆で、大きな不安を持っている人ほど次々に動いていました。手数は不安を散らしてはくれますが、減らしてはくれません。
打ち手が悪くても、運がよければうまくいくことはあります。ただし、それは深く掘ったこととは別の話です。
掘り方は、身体に残る
会議の締めくくりで、先生はもう一度この話に戻っています。
自分が明日いなくなったとき、道が開ける人と開けない人に分かれる。分かれ目は、そうなることを見越して準備していたかどうかではない。目の前のことを深くまでやっていたかどうかだ、と。
そのうえで、掘り方を自分の身体に植え付けられるかどうかが問われる、と話しています。植え付けておけば、食いっぱぐれることはないだろう、とも。
ここまで来て、資格の話が戻ってきます。集めた数は身体に残りません。残るのは、一つを深くまで掘ったときの掘り方のほうです。
私はまだ、後回しにしてきたものを手元に戻している途中です。だから、この記事は掘り終えた側からではなく、掘っている途中から書いています。
心を高めることと経営を伸ばすことは同じ方向にある、というのがこのサイトの出発点です(稲盛哲学は、この一語に帰結する)。深掘りは、その心を高める側の作業に見えて、不安の量を変えることで経営の判断そのものを変えていきます。
では、何を掘るのか。先生はこの会議の中で、掘る先の一つをはっきり挙げていました。お客様です。次の記事「言われたとおりに納めても、満足はされない——商売の王道は、長く付き合うこと」で、その話を訪ねます。
よくある質問
Q1. 深掘りとは、具体的に何をすることですか。
一つの対象について、普通は止めるところより先まで調べ、確かめ、身につけることです。
先生の言い方では、まず、何か口にするならその裏付けを取ること。裏付けだけで足りなければ、自分で経験すること。それもできないなら、経験した人から聞いて、誰々が言うにはという形で話すこと。三つとも、途中で止めないための具体的な手順です。
Q2. 忙しくて掘る時間がない場合は、どうすればよいですか。
時間の不足ではなく、手数の多さのほうを先に疑ってみてください。
次々に手を打っている状態は、不安から来ていることがあります。その場合、時間を作っても新しい手に消えていきます。手を一つ減らして、その分を一つの対象に寄せるほうが、結果として速く進みます。
Q3. 深く掘ると、本当に不安は減るのですか。
不安そのものはなくなりません。減るのは、不安から出てくる過剰さのほうです。
過剰さが減ると、自分と他人への評価が事実に近づきます。判断が事実の側に寄れば、打つ手の数は減り、一つ一つの手は重くなります。深掘りが経営に効くのは、この順序を通ってからです。
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