「分かっているつもりで、13枚を書き出した」という記事で、書き出してみて初めて見えたものについて書きました。見ることをサボった影響は、もう現実に出ていた、という話です。
今回は、その「書く」ということ自体の話です。
私は3年前、書くことから逃げようとして、ChatGPTに飛びつきました。そこから1年、ライティング道場という講座に通いました。逃げようとした人間が、何を学んだか。順に書きます。
ChatGPTに飛びついた、2023年の春
2023年の春、私はChatGPTを触っていました。要望を出せば、それっぽい文章が返ってくる。制約を与えれば、それを踏まえた文章も出てくる。
当時の宿題に、私はこう書いています。
「なんてすごいAIツールなんだ!」最初は、本当に感動的に思えた。
面倒だと思っていたブログやメルマガも、これで楽にできる。そう思ったのです。
同じ宿題に、続きがあります。
自分の楽をしたいという弱さから、このツールに飛びついてしまったのである。
しばらく使って、気づきました。生成される文章は、見た目が綺麗なだけで、熱が入っていない。まったく面白くないのです。
技術の側から考えれば、当然でした。文字のつながりが最もなめらかなものを選んでいるに過ぎない。ズルは難しいなと思ったところに、ライティング道場の案内が来ました。
E-E-A-Tを見て、「もう限界だな」と悟った
飛び込む決心をした理由は、もう一つあります。その年に出た、Googleの指標です。
E-E-A-Tは、4つの英語の頭文字です。Experience(経験)、Expertise(専門性)、Authoritativeness(権威性)、Trustworthiness(信頼性)。検索品質を評価する基準として、Googleが定義したものです。
生成AIは、大量の外部の文章から文章をつくります。私の内面や感情には、アクセスできません。だから、私たちに残るのは、自分の体験に根ざした文章を書くことだけです。
ところが、私はその「経験」を書く術を持っていませんでした。ずっと逃げてきたからです。
岡本吏郎先生が繰り返し語る言葉に、「書くことは呪術である」があります。源流は井筒俊彦の『言語と呪術』にあると、私は理解しています。
何度も聞いて、引っかかるものを感じながら、面倒そうだと避けてきた言葉でした。宿題の最後に、私はこう書きました。
恥をかく覚悟が、今、ようやく出来たのだ。
道場の初日に言われた、約束事
ライティング道場の第1回で、岡本先生が最初に言ったのは、やり方の話ではありませんでした。むしろ、逆です。
- 魔法の杖のようなHowtoは、探さない
- 文章の書き方の本は、読まない
- 赤の他人に向かって書かない。なんとなく分かり合える身近な人に書く
- 「私は○○です」とは、なるべく書かない
- 思い出を書かない。情景を書く
どれも、書き方ではなく、書く前の構えの話です。書き方を教わりに来た私には、拍子抜けでした。
もう一つ、初日に言われたことがあります。この講座には教科書もレジュメもない。話は毎回バラバラで、体系的ではない。バラバラのものを自分で結びつけることが、学びになる、と。
「5分の1ぐらいしか」——構成と、無意識の癖
第1回の課題を出したあと、岡本先生に聞かれました。今回、文章をどれくらい捨てましたか、と。
私は「5分の1ぐらい」と答えました。
先生の話では、構成をすると、文章の半分、少なくとも3分の1は捨てられるのが普通だそうです。私の文章には、まだ捨てる余地があった。そういう指摘でした。
ここでいう構成とは、書いた文章を読み手の側から見直し、要らないものを捨て、並べ直すことです。書くことよりも、この構成に時間をかけよ、というのが最初の1年の主題でした。
図1 構成とは、捨てること——私の第1回は5分の1しか捨てられなかった。先生の目安は半分から3分の1。
なぜ捨てられないのか。先生の説明は、こうでした。捨てる場所は、自分が書きたいだけの場所である。読み手から見て要るかどうかを、ずっと自問しながら書く。それができていないと、無意識の癖で書いてしまう。
そして、一番よくないのは、意図しないで、癖でやっていることだ、と。
書くことは、怖い——その人が全部出る
初日に、もう一つ強く言われたことがあります。文章には、その人そのものが全部出てしまう。だから怖い。怖いと思って書き出さなければいけない、と。
そして、終わりが最初から想定できている文章は、嘘だ。書いている自分が、最後の数行を見て、こう終わるのかと自分で驚く。そういう文章でないと、他人が読んでも面白くない、と。
3年たって、私はこれを、少しだけ実感しています。
起承転結の形で書き表すと、かなりレアケースですが、自分でも思ってもいなかった文章が書けて、自分自身が驚くことがあります。
書く前の私には、その文章はありませんでした。書いている途中で、私の中から出てきた。私はこれを、無意識に触れる、と呼んでいます。「書くことは呪術である」という言葉を、私はこの経験から理解しています。
もう一つ、間違いなく言えることがあります。文章を書くことで、頭がよくなる。これは、間違いありません。
図2 書くことは、無意識に触れること——癖で書く文章はその人がそのまま出る。意図して書くと、途中で思ってもいなかった文章が出て、自分が驚く。
書くことについて、よくある誤解
誤解1:「AIがあれば、書かなくていい」
- 下書きをAIに任せ、手直しだけする
- 生成された文章を、自分の言葉だと思っている
- 書く時間が減ったのに、伝わる手応えがない
私が最初にやったことです。楽をしたい弱さから、飛びつきました。出てきたのは、見た目だけ綺麗な文章でした。自分の体験を書く術は、AIでは補えません。
誤解2:「書き方を学べば、書ける」
- 文章術の本を何冊も読む
- Howtoを探し、テンプレートに当てはめる
- 型どおりに書けたのに、面白くない
道場の初日に、書き方の本は禁止されました。教わったのは、書く前の構えでした。誰に向けて書くか、何を捨てるか。それは本には書いてありません。
誤解3:「上手く書けている人は、大丈夫」
- 文章に自信がある
- 捨てるところが見つからない
- 指摘されても、直す必要を感じない
先生は初日に、書けている人ほど、書けている弱みの方が大きい、と言いました。私は5分の1しか捨てられませんでした。書けていると思っていたからです。
よくある質問
Q1. ChatGPTは、使ってはいけないのですか?
そうは思いません。3年前の宿題にも、有益なツールとして多くの可能性があると書きました。問題は、使う私の側です。自分のライティングの課題を出し切らないと、何を補ってもらいたいかも分かりません。
Q2. 経営者に、文章を書く力は必要ですか?
私の場合は、必要でした。書くことで、分かっているつもりのものが、分かっていなかったと分かります。それに、書くことで頭がよくなる。これは間違いないと思っています。
Q3. 道場に入らないと、学べませんか?
入らなくても、起承転結で書いて、読み手から見て捨てる、はできます。道場で得たのは、それを1年続けさせられる環境と、怖いと思って書く覚悟でした。
まとめ——恥をかく覚悟
3年前、私は書くことから逃げようとして、ChatGPTに飛びつきました。逃げ切れないと分かって、恥をかく覚悟をしました。
1年の道場で学んだのは、書き方ではありません。読み手から見て捨てること。意図して書くこと。そして、それでも途中で自分が驚く文章が出てくること。
「心を高める、経営を伸ばす」。高めるためには、まず自分の中にあるものを、恥をかきながら書き出すしかない。私はそう受け取っています。
書くことは、言葉を選ぶことでもあります。今、使っている言葉が、これからの自分を決める。その話は「今、使っている言葉が、これからの自分を決める——修辞立誠」に書きました。
