嫌な上司は、いつかいなくなる——ただし、次が来る。環境は心の反映

この記事でわかること

  • 見えている環境には、自分の心も映っているという見方
  • 物事は止まっておらず、苦手な相手も状況も変わっていく話
  • 相手を替えるより先に、見る側の心を整える意味

前回は、掃除の話を書きました。場を使う側から、整える側へ回る、という話です。

場を整えるのは、手の仕事です。けれども同じ「環境」は、心の側からも見ることができます。

以前、社長の心が落ち着くと社員の心に及ぶ、という老師の話を書きました。その見方には、もう一つの面があります。嫌な相手、嫌な状況は、ずっと続くのか。

坐禅会で老師は、自分の会社員時代の話を交えて、そのことを話していました。嫌な上司は、いつかいなくなる。ただし、次に嫌な部下が出てくるかもしれない、と。

目次

「環境はね、自分の心の反映なのです」

この話は、坐禅を続けると環境が変わってくる、という話の流れで出てきました。なぜ変わるのか。老師はこう説明しています。

なぜ変わるかっていうとですね、自分の心と環境は一つなんですよ。だから心が変わっただけ環境が変わってくる。環境はね、自分の心の反映なのです。

そして、経営者に向けて、こう続けます。

だからね、うちの従業員、くそ言うこと聞かないとか……っていうのは、自分が言うこと聞かないですね。自分の心が。

従業員が言うことを聞かない、と思うとき、言うことを聞かないのは自分の心のほうだ。

厳しい言い方です。けれども、ここで示されているのは責めることではなく、一つの見方です。環境と心は一つだから、見えている環境には、自分の心が映っている。

「1年半後ね、転勤になっちゃった」

では、どうしても合わない相手がいたら。老師は、自分の昔の話をしています。

会社員だったころ、すぐに議論を吹っかけてくる上司がいた。老師はまだ係長にもなっていなかったが、しばらく自分の言う通りにやってほしい、と上司に頼んだ。そのうえで、老師はこう話しています。

これしょうがないからさ、毎朝しょうがない、座って……会社に行くわけ。そうしたらね……1年半後ね、転勤になっちゃった。

毎朝坐ってから、会社に行った。そうしているうちに、1年半後、その上司は転勤になった。

「ずっと静止してるってことないのね」

ただし老師は、坐れば嫌な相手がいなくなる、とは言っていません。この話に続けたのは、こういう話でした。

いや、そういうもんなんだよ。嫌な上司がね、いても、物事はね……物事って絶対どんな状態でもそこにずっと静止してるってことないのね。

何かやれば、あの、アクションを起こせばリアクションってあって、とにかくその変化してるんですよ、刻々。

物事は、止まっていない。刻々と変わっている。

嫌な状況の中にいると、それがずっと続くように思えます。けれども実際には、止まっているものは何もない。老師の上司の話は、その一つの例として語られています。

止まって見える状況も、刻々と変わっている 中にいるときの見え方 嫌な状況が、ずっと続く 止まっているように見える 実際 アクション → リアクション 刻々と、変化している 坐禅会(2018年7月)の老師の言葉をもとに筆者が図化

図1 止まって見える状況も、刻々と変わっている——中にいると、ずっと続くように見えるだけ

「今度嫌な部下が出てきたり」

ただし、老師はここで話を甘くしません。

だから、まああの、絶対その環境とか嫌な上司がいても、いつかはいなくなるか、そうすると今度嫌な部下が出てきたり。

嫌な上司は、いつかいなくなる。けれども、次に嫌な部下が出てくるかもしれない。

ここで世話人の方が、こう合いの手を入れています。

まあね、それは自分が作った業だからね。

業(ごう)とは、ここでは、自分のこれまでの行いが生んだ結果、という意味です。会話はそのまま、それもまた修行だ、という言葉へ続いています。

相手が替わっても、また次が来る。それは、外の問題というより、自分の側が生んでいるものでもある。だから、それもまた修行になる。老師の「環境は心の反映」と、世話人の方の「業」は、同じところを指していると私は読みました。

私の場合——上司・先輩との関係と、相手の立場

私が「この状況はずっと続く」と思ったのに、実際には変わっていった。私の経験でそれにいちばん近いのは、上司・先輩との関係です。

苦手な相手がいるとき、私がまずすることが多いのは、相手の立場を考えることです。

老師の話に当てはめると、相手の立場を考えることは、相手を固定したものとして見ないことでもあります。相手にも事情があり、状況は刻々と変わっている。そう見ると、「ずっと続く」という見え方から、少し離れられる。私はそう読みました。

相手が替わっても、次が来る 嫌な上司 いつかは、いなくなる 嫌な部下 次が出てくる 自分の心の側 環境は、心の反映 相手を替えるより、見る側を整える それもまた、修行 坐禅会(2018年7月)の老師・世話人の方の言葉と、筆者自身の場合をもとにした筆者の読み

図2 相手が替わっても、次が来る——だから、見る側の心を整えることが、修行になる

組織に置き換えると

経営者にも、苦手な相手や、動かない状況があります。言うことを聞かないと感じる社員。かみ合わない幹部。

そういうとき、相手が替われば解決する、と考えたくなります。けれども老師の話では、相手が替わっても次が来るかもしれません。

そこで二つのことを持っておきたいと思います。一つは、状況は止まっていない、と知っておくこと。もう一つは、見えている相手には、自分の心も映っている、と知っておくこと。

相手を替えるより先に、自分の見方を整える。それが組織の中で起きることを、少し違う角度から見せてくれるのだと私は考えます。

「我慢して待て」という話ではありません

ここには、誤解されやすい点が二つあります。

一つ目。我慢して待てば、嫌な相手はいなくなる、という話ではありません。老師は、いなくなっても次が来るかもしれない、と言っています。待つだけでは終わらない、という話です。

二つ目。嫌なことは全部自分のせいだ、と自分を責める話でもありません。「業」は、責めるための言葉ではなく、自分の側から向き合える、という意味で使われています。理不尽な扱いに黙って耐えろ、という話でもありません。しんどいときは、一人で抱え込まず、信頼できる人に相談することも大切だと私は考えます。

まとめ——止まっていない、そして次が来る

  1. 環境は、自分の心の反映。言うことを聞かないのは、自分の心のほう
  2. 物事は、ずっと止まっていない。嫌な上司も、いつかはいなくなる
  3. ただし、次が来る。だから相手を替えるより、見る側を整える。それもまた修行

心を高める、経営を伸ばす。環境を心の反映として見ることは、心の側の話であり、組織の側の話でもあると、この言葉を読み直して思いました。

では、人からどう思われているかを、どこまで気にすればいいのか。次回は「見る側」の話の続きとして、坐禅会で語られた言葉からこの問いを考えます。

明日、一つだけやってみる

苦手に感じている社員や幹部を一人思い浮かべ、その人の立場や事情を一つ書き出してみてください。相手を替える前に、自分の見方を整えるところから始めてください。

よくある質問

Q. 「環境は心の反映」とは、どういう意味ですか。

老師の説明では、自分の心と環境は一つで、心が変わった分だけ環境が変わる、という意味です。見えている環境には、自分の心が映っている、という見方です。

Q. 今、嫌な相手がいてつらいときは、どう考えればいいですか。

老師の話では、物事は止まっておらず、刻々と変わっているとされています。ただし、つらさが大きいときは、一人で抱え込まず、信頼できる人に相談してください。この記事は、耐えることを勧めるものではありません。

Q. 宗教的な話として受け取るべきですか。

坐禅会での話ですが、この記事が借りたのは、状況は止まっていない、見えている環境には自分の心も映っているという見方です。用語を外しても、見方は残ります。

出典

  • 坐禅会(2018年7月)の録音記録。「自分の心と環境は一つなんですよ……環境はね、自分の心の反映なのです」「うちの従業員……自分が言うこと聞かないですね。自分の心が」「毎朝しょうがない、座って……会社に行くわけ。そうしたらね……1年半後ね、転勤になっちゃった」「物事って絶対どんな状態でもそこにずっと静止してるってことないのね」「アクションを起こせばリアクションってあって……変化してるんですよ、刻々」「いつかはいなくなるか、そうすると今度嫌な部下が出てきたり」は老師の発言(録音の28:35〜31:29前後)
  • 同じ録音の「まあね、それは自分が作った業だからね」は世話人の方の発言(31:12〜31:29前後)
  • 話者は、会に出席していた筆者が確認した(2026年9月)
  • 「会社員だったころ、すぐに議論を吹っかけてくる上司がいた……しばらく自分の言う通りにやってほしい、と上司に頼んだ」は、老師の発言(29:13〜30:30前後)を筆者が要約したもの。職場の業種や仕事の内容は記載していない
  • 「それもまた修行」は、会話の中の発言で、話者を確定できないため、発言者を特定せずに書いた
  • 引用は録音の文字起こしから。言いよどみや、意味が取れない部分は「……」で省いた
  • 「業」の説明は、筆者の補足です
  • 上司・先輩との関係、相手の立場を考える、という記述は筆者自身のものです
  • 本文中に坐禅会の関係者・老師・世話人の方のお名前は記載していません
  • 本記事は特定の宗教を評価・推奨するものではありません

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この記事を書いた人

Takuomi Mochidaのアバター Takuomi Mochida 株式会社ベンチャーネット代表取締役

株式会社ベンチャーネット 代表取締役
2005年に株式会社ベンチャーネットを設立後、SEOをはじめとするデジタルマーケティング領域のコンサルティングサービスを展開
広告・SNS・ウェブ・MA・SFAと一気通貫で支援を行っています
著書に『普通のサラリーマンでもすごいチームと始められる レバレッジ起業 「バーチャル社員」があなたを救う』(KADOKAWA、2020年)

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