この記事でわかること
- 「忙しいから坐る暇がない」は逆だという話
- 手が止まる原因は、よく見せたい欲にあること
- 狙わないものほど評価される、という逆説
前回は、認定の話を書きました。認定を目的にすると、取りにいく自分が間に立って、かえって遠ざかる、という話です。
同じことは、毎日の仕事の側でも起きています。締切が迫っているときです。
坐禅会で、世話人の方が自分の経験として語った一段があります。坐禅の効用の話に見えて、仕事が止まる理由の話にもなっています。手が止まるのは、時間がないからではない。よく見せたい欲があるからだ、という話です。
「忙しいから坐る暇がない、は逆」
その日の坐禅会では、忙しいときほど坐るべきだ、という趣旨の本の一節を読んでいました。世話人の方は、それを自分の言葉でこう言い直しています。
……忙しいから座禅してる暇ないっていうけど、逆なんですよ。そうすると仕事の効率がものすごく良くなる。
そして、締切前の自分の様子を話し始めます。
それでね、うろうろうろうろするわけ、最初。
締切が迫っている。気持ちは焦っている。けれども、手は動かない。うろうろする。
で、座禅をして、すっとこう座禅してると、本当は座禅なんかする暇ないと思いながらも、やっぱり座禅すると、……
坐ったあとは、いつもよりずっと短い時間で書き上がった、という話が続きます。
ここまでなら、「坐ると集中できる」という話です。けれども、この一段の芯は、その先にありました。
書けないのは、欲があるから
世話人の方は、なぜ書けなかったのかを、こう説明しています。
それもいい原稿書こうとかって欲があるから書けない。
人に褒められようとかね。だけどそれがなくなるんですよ。
書けなかった理由は、時間でも能力でもなかった。いいものにしたい、褒められたい。その欲が、手を止めていた、という話です。
そして、もう一つ、不思議なことを付け加えています。
そういう原稿ほどが褒められるのよね。不思議なことに。
褒められようとすると書けない。褒められようとしなくなったものほど、褒められる。狙うと外れて、狙わないと当たる。
みんなからこう反響のいい原稿を書こうとかって、そういう欲がある限り……原稿って書けない。
図1 手が止まるとき、動くとき——止めているのは時間ではなく、よく見せようとする気持ち
前回の話と、同じ形をしている
並べてみると、前回の認定の話と、形が同じです。
前回、老師は、見性しようと思えば思うほど、追いかける自分がいて届かない、という趣旨のことを言っていました。今回、世話人の方は「褒められようとすると書けない」と言っています。
目的が前に出ると、手前の自分が邪魔をする。修行の話と、締切の話。場面は違っても、同じ構造だと私は読みました。
さらにその前に書いた「迷ったら、まず坐る」とも、つながっています。急いでいるときほど、いったん止まる。止まることで、目の前の一つに戻る。
私の場合——締切前は、一度坐る
私の場合、締切が迫っているときは、一度坐るか、呼吸を整えてから始めます。いきなり手を動かすのではなく、一度止まるほうです。
よく見せようとして、かえって進まなかったことが、私にもあります。
世話人の方の話に照らすと、そういうときに足りないのは、時間ではないのかもしれません。よく見せようとする気持ちが、手を止めている。そう考えると、一度坐ることの意味も変わって見えます。
坐るのは、落ち着くためだけではない。よく見せようとする気持ちを、いったん下ろすためでもある。私はそう読みました。
図2 目的が前に出ると、手前の自分が邪魔をする——修行でも、締切でも、同じ形
経営に置き換えると
経営者の机の上にも、締切のある仕事がたくさんあります。事業計画、提案書、社員への大事な連絡。
そういう仕事ほど、よく見せたい気持ちが強くなります。社員にどう受け取られるか。取引先にどう見えるか。そう考え始めると、一行目が出てこない。
世話人の方の話を当てはめると、そのときに足りないのは時間ではなく、よく見せたい気持ちを下ろす一呼吸なのかもしれません。
坐る時間は、五分でも十分でもよい、と世話人の方は言っています。会社に早く着いて、机の前の椅子で坐ってもよい、とも。場所や形より、一度止まることのほうが大事だと私は読みました。
「坐れば速く終わる」という話ではありません
誤解されやすい点が、二つあります。
一つ目。坐れば必ず速く終わる、という約束ではありません。世話人の方が語ったのは、ご自身の経験です。私が借りたいのは、手が止まる理由を、時間ではなく気持ちの側に見るという見方です。
二つ目。「いいものを目指すな」という話でもありません。手放すのは、褒められたい、よく見せたいという欲のほうです。目の前の一つに打ち込むことまで手放すわけではありません。
まとめ——一度坐って、欲を下ろす
- 忙しいから坐る暇がない、は逆。坐ると、うろうろしていた手が動き出す
- 書けないのは、欲があるから。よく見せたい、褒められたいという気持ちが手を止める
- 狙わないものほど、評価される。目的が前に出ると、手前の自分が邪魔をする
心を高める、経営を伸ばす。よく見せたい気持ちを下ろす一呼吸は、心の側の話であり、仕事の速さの話でもあると、この一段を読み直して思いました。
同じ日には、もう一つの話も出ています。腹が立たなくなるのではない。続かなくなる。では、腹が立つこと自体はどうなるのか。次回は、その話です。
明日、一つだけやってみる
手が止まっている仕事に向かう前に、一度坐るか、呼吸を整えてから始めてみてください。五分でも構いません。
よくある質問
Q. 締切直前で、坐る時間すらありません。
世話人の方は、五分でも十分でもよい、と言っています。私の場合は、一度坐るか、呼吸を整えてから始めます。長さより、一度止まることが大事だと考えています。
Q. 「欲をなくせ」と言われても、気にしてしまいます。
世話人の方も、努力して欲を消したとは言っていません。坐ると「それがなくなる」という言い方です。消そうとするのではなく、坐って下ろすという順番だと私は読みました。
Q. 宗教的な話として受け取るべきですか。
坐禅会での話ですが、この記事が借りたのは、よく見せたい気持ちが手を止めるという見方です。用語を外しても、見方は残ります。
出典
- 坐禅会(2019年10月)の録音記録。「忙しいから座禅してる暇ないっていうけど、逆なんですよ」「うろうろうろうろするわけ、最初」「いい原稿書こうとかって欲があるから書けない」「人に褒められようとかね。だけどそれがなくなるんですよ」「そういう原稿ほどが褒められるのよね」などは世話人の方の発言(録音の49:39〜51:21前後)。「五分でも十分でも」「椅子に座ってもいい」は51:57〜52:20前後
- この日は、忙しいときほど坐るべきだ、という趣旨の本の一節を読んだあとの話。本の文章そのものは引用していない
- 引用は録音の文字起こしから。言いよどみや、意味が取れない部分、個人に関わる部分は「……」で省いた。所要時間の数字は引用していない
- 前回の老師の言葉は、坐禅会(2016年11月)の録音記録による
- 締切前に一度坐る・呼吸を整える、よく見せようとして進まなかったことがある、という記述は筆者自身のものです
- 本文中に坐禅会の関係者・世話人の方のお名前、ご職業は記載していません
- 本記事は坐禅会の録音のみを素材としています
- 本記事は特定の宗教を評価・推奨するものではありません
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