菜根譚——染まるな、淡くせよ

前回、私たちは「魚は水を出ない」というスピノザの話から、最初の問い——なぜ経営者は学びつづけなくてはいけないのか——へと戻ってきました。禅で心を調え、易で変化を読み、スピノザで自分の水を知る。「己を修める」旅は、これで一周したことになります。

ここから二周目に入ります。一周目が「坐る」「観る」という姿勢の話だったとすれば、二周目は「読む」という方法で、同じ道をもう一度歩き直す旅です。古典を一冊ずつ開いて、そこに自分を映していく。今回はその最初の一冊、『菜根譚』です。

目次

体系がないからこそ、読む人の現在地が映る

『菜根譚』は、明代末期の洪自誠という人物が書いた、三百数十条の短い言葉の集まりです。儒教・仏教・道教が混ざり合っていて、体系がありません。

体系がないのが、実はこの本の効きどころです。一条ごとに独立しているので、読む側が自分の記憶を引っぱり出さないと意味が像を結ばない。つまり、読む人の現在地がそのまま映る

私はこの本を、岡本吏郎先生の「真剣に、本を読む会」シーズン3で読みました。毎回テーマに沿った宿題が出て、自分の経験を書いて提出します。この記事の芯にあるのは、そのとき私自身が書いた文章です。

温故知新の「故き」は二層ある、と学習01で書きました。第一層が人類の古典、第二層が自分と自社の歴史。菜根譚を読んで宿題を書く行為は、その二層を突き合わせる訓練でした。以下、第6回から第8回の宿題を軸に、菜根譚の前半をたどります。

うまくいっているときほど、危ない

第6回のテーマは「今までの快の末路、今までの不快のその後」でした。

私はSEOのことを書きました。施策がほぼ完璧にはまった時期があります。狙ったキーワードはことごとく上位に表示され、寝ている間も売上が積み上がっていく。まぎれもなく「快」の時間でした。

菜根譚に「恩裡由来生害」——恩恵のただ中からこそ害は生まれる——という一条があります。今にして思えば、あれがそうでした。好調な順位への依存が生まれ、それを維持することへの恐怖が増していく。少し落ちるだけで不安になり、アルゴリズムの変化に怯えるようになる。そして怖いから、変わってしまった現実のほうを見ないようにしていました。結果、変化についていけなくなり、身動きが取れなくなったのです。

同じ条は、こう続きます。「故快意時、須早回頭」——だから気分のいいときこそ、早く振り返れ。あのとき私は「回頭」をしませんでした。流れに乗り続け、自分の立ち位置を確認することを怠った。

快の道と、不快の道——分かれ目は「回頭」 快の道 恩裡由来生害 順調・成果が出る 依存と、失う恐怖 現実を見なくなる 動けなくなる 故快意時、須早回頭 気分のいいときこそ、早く振り返る ——ここでしか、道は乗り換えられない 不快の道 敗後或反成功 払心・思うにまかせぬ 手を放さず、問い直す 莫便放手 筋肉質になる 快のときは自分を見失いやすく、不快のときこそ自分に戻れる。 「破産する人は愚かだからではなく、うまくいっていたから破産する」 ——モーガン・ハウセル

図1 快と不快の分岐——順調な側にいるうちに「回頭」しなければ、道は乗り換えられない

不快のときこそ、手を放すな

同じ宿題のもう半分、「不快のその後」には、Salesforceのパートナーとして事業を広げていた時期のことを書きました。

当時の私は「上場」という旗を立てていました。今なら言えますが、あれは本心ではありませんでした。外から見たときの正解を追いかけ、組織を膨らませ続けていた。菜根譚の言葉を借りれば「竟衣玉食者、甘婢膝奴顔」——立派な衣食を求める者は、人にへつらうことも平気になる——に近い状態だったと思います。

そこで、立ち止まりました。正確に言えば、不快があったから立ち止まれた。自社のゴールを問い直し、規模ではなく質を選びました。組織は縮小しましたが、その後の会社は筋肉質になり、社内のコミュニケーションが通るようになりました。

「故払心処、莫便放手」——思いどおりにならない場面でこそ、すぐに手を放すな。そして「敗後或反成功」——敗れたあとに、かえって成功へ転じることがある。今のNetSuiteコンサルという軸は、あのときの解体の上に立っています。払心の地点は、確かに転換点でした。

「蓋志以澹泊明、而節従肥甘喪也」——志は澹泊(あっさりしていること)によって明らかになり、節度はぜいたくによって失われる。SEOの成功は「肥甘」の時間であり、Salesforce時代の不快は、図らずも澹泊への回帰だったのだと思います。

「勝ちたい」の正体——三層で見る

シーズン3の読み方には、はっきりした型がありました。価値(ニーチェ)・欲望(ラカン)・無意識(ユング)という三層で古典を読む、というものです。

第7回のテーマは「『欲望の根』が他者との比較構造になっていないか?」。講義で出た「正しさを通したくなるのは、勝ちたいからだ」という一言に、私は思い当たる場面がありました。

顧客とSEOについて意見をぶつけ合ったことがあります。「他社の事例ではこうだった」「あのコンサルはこう言っていた」と言われると、私は反射的に自分の見解を返していました。知識の差があるから自分が正しい、と思っていたのです。けれども衝動の根を正直に見れば、それは「負けたくない」でした。本来は自分の考えをフラットに伝え、選ぶのは顧客に委ねるべきだったのです。

菜根譚はこれを「俗情」と呼びます。面子、世間体、嫉妬、比較、承認欲求、勝ち負け。そして処方を出します。「径路窄処、留一歩与人行」——道が狭いところでは、一歩譲って人を行かせよ。これは礼儀論ではありません。勝ちへの衝動を自覚し、そこから意図的に引くための実践論です。自分を括弧にくくって客観視すると、選択肢がむしろ増えることに気づきます。

さらに「作人無甚高遠事業、擺脱得俗情、便入名流」——特別な事業などいらない、俗情から自由になるだけで一流に入る——とまで言い切ります。規模や名声の競争から降りることが、かえって本物の流れに乗ることになるという逆説です。

ここでラカンの「欲望とは、他者の欲望である」が効いてきます。自分が欲しいものは、他者が欲しがっているから欲しいのではないか。私はAIと量子コンピューティングへの関心を、この問いにかけてみました。純粋な好奇心か、「この分野に詳しい人間として見られたい」という比較か。答えはおそらく両方です。ただ、自覚しているかどうかは大きく違います。

三層で読む——「俗情」はどこに棲んでいるか 読む側の三層 菜根譚の処方 第一層 価値(ニーチェ) 何を善いとするか。その善は 世間の善か、自分の善か 俗情を擺脱する 作人無甚高遠事業、便入名流 第二層 欲望(ラカン) 欲望とは、他者の欲望である =俗情(面子・比較・承認・勝ち負け)はここ 一歩譲る/淡くする 径路窄処、留一歩与人行 真味只是淡 第三層 無意識(ユング) 自分では見えない層。ここが 上の二層を静かに動かしている 快のときこそ回頭する 故快意時、須早回頭 「正しさを通したくなるのは、勝ちたいからだ」——衝動の根は、たいてい第二層にある。

図2 三層フレーム——価値・欲望・無意識のどの層に自分がいるかで、打つ手が変わる

一歩譲るは、複利である

第8回のテーマは「人生の中での複利を考える」でした。

昔、コンサルタントとして現場に入るとき、私は知識を積極的に出していました。今にして思えば、それは自分の不安から出ていた行動です。今は、クライアントのやり方を否定せず、まず「そうですね」と受けてから入ります。プロレスラーが技を受けるように、まず聞く。正直、もどかしい。けれども相手の認識を先に理解しないと、信頼関係は生まれません。「こちらには答えが見えている」という話し方は、信頼を壊します。

NetSuiteの導入現場でも同じ構造を感じます。中小企業の経営者は、自分のやり方に誇りを持っています。そこへシステムを持ち込むのは、ある意味でその誇りへの介入です。だから最初は「現状を教えてください」に徹する。AsIsを丁寧に理解することが、ToBeへの最短距離になります。

しばらく経つと、不思議なことが起きます。以前は跳ね返された同じ提案が、通るようになる。変わったのは提案の中身ではなく、関係の積み重なり方でした。あのもどかしい期間が、実は利子を生んでいたのです。

もうひとつ、いつからか心がけているのが、成果を相手の担当者に渡すことです。うまくいったら、お客様のおかげと考える。すると、その担当者が転職されるとき、「また仕事をしたいです」と言ってもらえる。すぐに結果を取りに行かなかったことが、遠いところから返ってくる。

「処世譲一歩為高。退歩即進歩的張本」——処世においては一歩譲るを高しとする。退く一歩は、進む一歩のもとである。

講義では、複利を「謙虚さと明晰さに対する神のお駄賃」と表現していました。複利は待てる人にしか働きません。焦って引き出せば、元本が育たない。「分を守る」とは、この引き出さないことの別名なのかもしれません。

一歩譲るの複利——もどかしい期間が、利子を生んでいる もどかしい期間 (利子は見えない) 時間 → ↑ 積み上がる信頼・紹介・事例 すぐに結果を取りに行く 最初は速いが、元本が育たない 一歩譲る/手柄を渡す 遅れて、遠くから返ってくる 「持田さんの言うことなら」 複利は「謙虚さと明晰さに対する神のお駄賃」。待てる人にしか働かない。

図3 譲ることの複利——短期では負け続けているように見える線が、後半で逆転する

まとめ:濃くすれば早く消え、淡くすれば長く残る

菜根譚の前半から、経営者が今日から使える三つを取り出しておきます。

  • 快は疑い、不快は粘る——順調なときこそ早く回頭する。思うにまかせないときこそ手を放さない。この「精神の温度管理」が、判断の質を決めます
  • 俗情を外す——勝ちたい、見られたい、比べられたくない。その根を見つけたら、一歩譲る。競争から降りることが、かえって本物の流れに乗る道になります
  • 淡く、長く——「真味只是淡」。濃くすれば早く消え、淡くすれば長く残る。短期の勝利より、長期の生存を優先する

稲盛さんの「心を高める、経営を伸ばす」に引きつければ、菜根譚は徹頭徹尾、心のほうを扱う本です。ただし観念としてではなく、快と不快、勝ちと負け、譲ると取るという、日々の判断の手ざわりで扱う。だから経営に効きます。

私自身、NetSuiteという仕事の地味さを「まだ規模が小さい」と競合と比べて焦ることがあります。それが起きたら、俗情の合図です。そのときは第二層に降りて、欲望の根を確かめる。答えを出すことではなく、問い方を育てること——それがこの読書会の意義なのだと思っています。

菜根譚はまだ半分です。第9回から先、読み方は欲望のさらに下、無意識の層へと降りていきます。自分では見えない層をどう扱うのか。その話は稿を改めますが、手がかりはすでに哲学03(易は人生の構造を読む地図)に置いてあります。そして「なぜ学びつづけるのか」の答えも、この往復の中にしかありません。

よくある質問

Q. 『菜根譚』とはどんな本ですか?

明代末期の洪自誠が書いた、前集222条・後集135条からなる語録です。儒教・仏教・道教が混ざり合った実践的な処世の書で、一条ごとに独立しているため、読む人の現在地がそのまま映ります。

Q. 順調なときに、なぜ振り返る必要があるのですか?

菜根譚は「恩裡由来生害」——恩恵のただ中からこそ害は生まれる——と説くからです。好調は依存と恐怖を生み、現実を見えなくします。「故快意時、須早回頭」、気分のいいときこそ早く立ち位置を確認することが、判断の質を守ります。

Q. 「一歩譲る」と、ビジネスでは損をしませんか?

短期では譲っているように見えますが、譲った一歩は信頼として積み上がり、あとから複利のように返ってきます。菜根譚は「退歩即進歩的張本」——退く一歩は進む一歩のもと——と言い切ります。短期の勝利より、長期の生存を優先する考え方です。

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この記事を書いた人

Takuomi Mochidaのアバター Takuomi Mochida 株式会社ベンチャーネット代表取締役

株式会社ベンチャーネット 代表取締役
2005年に株式会社ベンチャーネットを設立後、SEOをはじめとするデジタルマーケティング領域のコンサルティングサービスを展開
広告・SNS・ウェブ・MA・SFAと一気通貫で支援を行っています
著書に『普通のサラリーマンでもすごいチームと始められる レバレッジ起業 「バーチャル社員」があなたを救う』(KADOKAWA、2020年)

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