前回は、アルトマン氏の「穏やかな特異点」を読みました。知能が安くなり、奇跡が日常になる、という見立てでした。
今回は、同じ地平を反対側から見ている人の言葉です。楽観と警戒の対比は、どちらも本人の原典から読みます。
Anthropic社CEOのダリオ・アモデイ氏は、いまの時代を「技術の思春期」と呼びました。力が先に来て、成熟が追いつかない時期、です。順序は変えません。まず私のルーツから。次に彼の想像力。最後に、私の中に何が生まれたか、です。
私の会社にも、思春期があった
私にも、同じ時期がありました。
インターネットのおかげで、小さな会社でも信じられないくらいのキャッシュを生み出せた。無邪気に、お金を稼ぐことに集中できた時期です。
力は付きました。付かなかったのは、そのお金で次に何をするかを決める力のほうです。
まさに、成熟が追いつかなかったのだと思います。
そこから、強引に採用や組織づくりをしようとしました。どこが強引だったかと問われれば、すべてです、としか言えません。
ただ、経験しないとわからないので、それを繰り返しやりました。
具体的には、正社員という形をとらず、グループ会社をつくり、その経営者としてジョインしてもらい、成果報酬を徹底しました。
このシリーズの前のほうで、私は成果報酬を受けた側の話を書きました。今回は、同じ仕組みを人に当てはめた側の話です。
自分が受けて機能した条件を、そのまま人に当てはめた。順序としては、そういうことでした。
そして、この時期の不安が、私を学びのほうへ押しました。盛和塾で稲盛和夫氏の教えに出会ったのも、岡本吏郎先生に出会ったのも、この不安がきっかけです。
図1 力と成熟の時間差——できることが先に伸び、扱える範囲が遅れて追いつく。その隙間が思春期
アモデイは何を言ったか
アモデイ氏は、人類がいま「通過儀礼」に入っていると書きました。私はそこに、自社の急成長期に開いた隙間と同じ形を見ました。
ダリオ・アモデイ氏は、Anthropic社の共同創業者でCEOです。2026年1月、氏は自身のサイトに「The Adolescence of Technology(技術の思春期)」と題した長い論考を公開しました。以下は、そこから私が自分で訳したものです。
氏は映画『コンタクト』の一場面から書き起こします。異星人に一つだけ質問できるなら何を聞くか。主人公の答えは、あなたたちはどうやって、自らを滅ぼさずにこの技術的思春期を生き延びたのか、でした。
そのうえで氏は、こう述べます。私たちは、荒々しくも避けられない通過儀礼に入ろうとしている。それは、私たちが種として何者であるかを試すものになる。人類はまもなく、ほとんど想像もつかない力を手渡される。しかし、私たちの社会・政治・技術のシステムがそれを扱う成熟を持っているかは、まったく不明だ、と。
私が目を留めたのは、リスクを語るときの三つの構えです。氏は、リスクの議論は慎重で熟考されたものであるべきだとして、次を挙げます。
- 破滅論に陥らない。破滅は不可避だと信じることは、誤りであり自己成就的でもある
- 不確実性を認める。ここで挙げる懸念は、どれも確実性や蓋然性を伝えるものではない
- 介入はできるだけ外科的に。規則は簡素で、必要最小限の負担にとどめる
もう一つは、企業の選択についての一文です。企業にはしばしば、「コスト削減」(同じことをより少ない人で)と「イノベーション」(同じ人数でより多くを)という二つの選び方がある、と氏は書いています。
そのうえで氏は、可能なかぎりイノベーションの側へ寄せる余地はある、と続けます。ここは圧力の話ではなく、余地の話です。
そして、意味についての言葉です。人間の目的は、世界で最も優れていることに依存しない。人は、自分が愛する物語や仕事を通じて、長い時間にわたっても目的を見出せる。
だから私たちは、経済的価値を生むことと、自尊や意味とのつながりを断ち切る必要がある、と氏は述べています。
一拍置く、という所作
自分の歴史を振り返ると、立ち止まって考えたことが、次の飛躍につながっています。
走りつづけた時期ではなく、止まった時期のほうが、あとから効いている。
だから今も、焦りはありますが、意図的に立ち止まって考えるようにしています。
これは自然にできることではありません。意識してやらないと、道具の速さのほうに引っ張られます。
氏の二つ目の構え、不確実性を認める、というのは、経営者にとってはこの所作のことだと私は読みました。
わからない、と認めた瞬間にだけ、一拍が置けるからです。
私がつまずいた、四つのパターン
力が先に来る局面で、私は何度も同じところでつまずきました。心当たりがあれば、同じ道です。
パターン1:破滅論か楽観論か、どちらかに寄る
- 「もう終わりだ」と身構えて、手を止める
- 「大丈夫だ」と決めて、考えるのをやめる
- どちらも、次の一手が出てこない
氏の三つの構えは、まず破滅論に陥らず、次に不確実性を認めることでした。どちらかに寄ると、判断ではなく気分になります。
パターン2:力が付いた瞬間に、成熟したと思う
- 売上が伸びた年に、仕組みが整ったと錯覚する
- 道具が賢くなった分だけ、自分も賢くなったと感じる
- 隙間が見えなくなる
図1の隙間は、力の側からは見えません。成熟の側、つまり扱える範囲を自分で測ったときにだけ見えます。
パターン3:介入を、大きくしすぎる
- 一度の失敗で、全面禁止や全面転換に振れる
- 規則が増え、現場が止まる
- 小さく直す手を持っていない
氏の三つ目の構えは「できるだけ外科的に」でした。小さな会社ほど、大きな介入は会社そのものを止めます。
パターン4:準備ができていないのに、走る
私の場合、原型は起業そのものでした。
ヒューレットパッカードでコンサルタントという職にありました。それなのに、インターネット市場の成長に飛び込みたい、自分も何かやらないと、というところで飛び込みました。
準備があったわけではありません。力の伸びるほうへ、先に体が動いた。
正直に言うと、今のAIと似ています。
そして、同じ形をそのあとも繰り返しました。
グループ会社へのジョインは、優秀な人が来てくれたので大成功でした。しかし多角化しすぎて、本業がおろそかになりました。
それぞれが独立していく際に、優秀な人材が失われました。
社内にエンジニアを抱えると、その方向を制御することが難しく、事業のスピードが落ちます。
維持するために営業をがんばると、今度は社内のエンジニアが疲弊します。
開発だけに寄せれば、社員が疲弊します。
どれも、力の使い道を決める前に、力のほうを先に持ってしまったことから起きています。
図2 力を持つ前の、三つの構え——破滅論に陥らず、不確実性を認め、介入は外科的に。小さな会社の「一拍」に置き換える
ドラッカーが「知りながら害をなすな」と引いたもの
思春期の話は、AIの話に見えます。しかし古典に当てると、マネジメントの倫理の話でもあります。
ドラッカーは『マネジメント』で、マネジメントの立場にある者はプロフェッショナルの倫理、すなわち責任の倫理を要求される、と述べます。そしてヒポクラテスの誓いを引いて、こう書いています。
「知りながら害をなすな」である。プロたるものは知りながら害をなすことはないと、顧客が信じられなければならない。これを信じられなければ、何も信じられない。
(P・F・ドラッカー『経営の哲学』上田惇生編訳、ダイヤモンド社より)
同じ『経営の哲学』に、こうもあります。
企業は、社会や経済の許しがあって存在しているのであり、有用かつ生産的な仕事をしていると見なされるかぎりにおいて、存続を許されているにすぎない。
(同じく『経営の哲学』所収、『マネジメント』からの抜粋)
力を持つ前に成熟する、とは何か。私の読みでは、知りながら害をなさない、と顧客に信じてもらえる状態を先につくることです。氏が「まったく不明だ」と書いた成熟は、私の会社では、この信頼のことでした。
では、その信頼はどうやってつくるのか。私の答えは、実務の中から出てきました。
開発は、伴走とその生産性が要です。その体験を積み重ねていくことでしか、信頼は積み上がりません。
金額の折り合いだけでは足りません。目利き力と、お互いのビジョンの共有が要ります。
下請けとしてではなく、経営に近い視点で行う。ここまで来て、ようやく害をなさない側に立てるのだと思っています。
稲盛和夫氏が説いた、人として正しいかどうかを物差しに置くという考え方も、ここに重なります。要旨として記します。
絶望し、そして欲望が生まれる
この論考を読んで、私にまず起きたのは絶望ではありませんでした。
これは前にも通った、という感覚です。
力が先に来て、使い道が決まっていない。起業のときに立っていた隙間と、同じ形をしています。
同じ形の隙間に、二度目に立っている。それが正直な実感でした。
違うのは、隙間のほうではありません。そこに立っている自分のほうです。
起業のときは、お金が稼げればなんでもいい、という価値観でした。今は違います。
中小企業のデジタル生存戦略として、AIをやっていきたい。日本の経営者を支え、伴走し、一緒に夢を体験させてほしい。そう思っています。
もっとも、決まっていないことのほうが多い。
AIで開発の姿もBtoBのマーケティングも大きく変わりますが、その方向を私はまだ掴めていません。
そして、それを妨げるのは経営者ではなく、むしろ現場のほうだと感じています。
システム開発を売るのではなく、経営改革を売る。そちらが正しいのだと思いますが、では、どうやって売るのか。
その体制は誰がつくるのか。開発と経営コンサルティングの両輪をやろうとすると、専門家が二人必要になります。
自社開発と受託開発をどう両立させるか。ここは、いまも私の課題のままです。
隙間は埋まっていません。ただ、二度目の隙間には、埋めたい理由のほうが先にあります。
ギャップは、埋めるべき欠損ではなく、燃料です。次の記事「ギャップは、埋めるものではなく、燃料である」で、この距離の測り方を扱います。
そして問いは、シリーズの出発点に戻ります。なぜ、経営者は学びつづけなくてはいけないのか。力は買えるが、成熟は買えないからです。
あなたの会社の思春期は、いつでしたか。よければ、その話を聞かせてください。塾長としてではなく、同じ隙間を通ってきた同志として。
よくある質問
「技術の思春期」とは、AIがまだ未熟だという意味ですか?
逆です。アモデイ氏は、力がほぼ想像を超えて手渡される一方で、それを扱う社会の成熟が不明だ、と述べています。未熟なのは技術ではなく、扱う側のほうです。
リスクの話は、中小企業に関係ありますか?
国家安全保障の話は、直接は関係ありません。関係があるのは「力が先に来て、成熟が遅れる」という形です。急成長期の会社は、同じ形の隙間を経験しています。
経営者は、何から手をつければいいですか?
私の答えは、扱える範囲を自分で測ることです。氏の三つの構え(破滅論に陥らない・不確実性を認める・介入は外科的に)を、会社の所作に置き換えるところから始めています。
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出典
- Dario Amodei「The Adolescence of Technology: Confronting and Overcoming the Risks of Powerful AI」(darioamodei.com・2026年1月公開)。引用は筆者訳
- P・F・ドラッカー『経営の哲学——いま何をなすべきか』上田惇生編訳、ダイヤモンド社(『マネジメント』からの抜粋)
- 稲盛和夫の判断基準(要旨)。盛和塾での学びに基づく記述であり、特定の著作からの逐語引用は行っていない
