この記事でわかること
- がむしゃらに働く時期も、一つの修行だという見方
- 心配しなくても、扉は自然に閉じて次が開く
- 閉じかけた扉を押さえ続けない、という向き合い方
前回は、自分の背骨ははっきり言うが、強要はしない、という話を書きました。軸をどう持つかの話です。
軸を持ったままでも、時間とともに変わっていくものがあります。人生の段階です。
以前、「次の玉手箱」という言葉について書きました。修行を続けると、次の箱が開いていく、という話です。2018年冬の接心の雑談でも、その言葉が出てきます。そのすぐあとに、人生の段階の話が語られていました。がむしゃらな時期も一つの修行で、心配しなくても扉は自然に閉じて次が開く、という話です。
「がむしゃらに……働いたりして」
話は、こう始まります。
でもさ、やっぱり人生にはライフステージっていうのがあって……やっぱりある時期、若いうちはがむしゃらにやっぱり仕事したり、働いたりして。
ライフステージとは、人生をいくつかの段階に分けて見る考え方です。若いころ、働き盛り、その先。段階ごとに、やることが変わっていく。
続く一言は、こうです。
これもまた一つの修行なんだよね。
がむしゃらに働く時期も、修行だ。
坐禅会で聞く話は、静かに坐ることが中心です。けれどもここでは、仕事に打ち込む時期そのものが修行として語られています。静かなことだけが修行ではない、という言い方だと私は読みました。
「めちゃくちゃやらなきゃなんない時期ってありますよ」
この話は、さらにこう続きます。
……めちゃくちゃやらなきゃなんない時期ってありますよ。
だから、それぞれの年齢とか世代っていうかな、そういうめちゃくちゃがむしゃらに仕事やる時期っていうのもやっぱりみんなあると思うんですよ。
誰にでも、がむしゃらな時期がある。
がむしゃらに働くことを、止めていません。むしろ、その時期がみんなにある、と認めています。段階の一つとして、ちゃんと置いている。そこが、この話の出発点です。
「扉は自然と閉じて、次の扉がちゃんと開く」
では、その時期はどう終わるのか。こう語られていました。
ライフステージごとに自然に、そして次のステージに、次の段階に。あの、心配しなくてもちゃんと扉は自然と閉じて、次の扉がちゃんと開くからさ。
心配しなくても、扉は自然に閉じる。そして、次が開く。
がむしゃらな時期は、ずっと続くわけではない。無理に終わらせなくても、段階ごとに自然に閉じていく。そして、閉じたところで、次の扉が開いている。
「心配しなくても」という一言が、この話の芯だと私は読みました。次の段階のことを、先回りして心配しなくていい。
図1 段階ごとに、扉が替わる——がむしゃらな時期も一つの段階。閉じたところで、次が開く
閉じる扉を、押さえない
ここから先は、私の読みです。
扉が自然に閉じると聞いて、思うことがあります。閉じかけた扉を押さえてしまうことが、あるのではないか。
うまくいったやり方。慣れた役割。長く続けてきた働き方。どれも、手放すのは怖いものです。閉じかけている扉を、両手で押さえ続けたくなる。
けれども、語られていたのは「心配しなくても」でした。押さえなくても、次は開く。そう考えれば、閉じていく扉を、少し落ち着いて見送れるのかもしれません。
図2 閉じる扉との、二つの向き合い方——押さえ続けるか、自然に閉じるのに任せるか
私の場合——次の段階へ移りつつある
私は、いまの自分を、次の段階へ移りつつあるところだと感じています。
そして、何かが終わったとき、あとから振り返って次の扉が開いていたと感じたことがあります。
経営に置き換えると
会社にも、段階があります。何でも自分でやる時期。人に任せる時期。次の世代に渡していく時期。
経営者は、がむしゃらな時期のやり方に、長く頼りがちなのではないかと私は思います。うまくいった時期のやり方ほど、手放しにくいからです。
語られていたのは、がむしゃらな時期を否定する言葉ではありませんでした。それも修行。そして、扉は自然に閉じて、次が開く。いまの段階をやり切ることと、次の段階を怖がらないこと。その両方が、同じ言葉の中にあります。
「がむしゃらに働くな」という話ではありません
誤解されやすい点が、二つあります。
一つ目。がむしゃらに働くな、という話ではありません。がむしゃらな時期も一つの修行だ、と語られています。ただし、体や心を壊してまで続けよ、という話だとは私は読みませんでした。しんどいときは、一人で抱え込まないでください。
二つ目。何もしなくても次の扉が開く、という話でもありません。語られていたのは、段階ごとに、がむしゃらにやる時期を経たうえでの話です。いまの段階をやり切った先に、次の扉がある、と私は読みました。
まとめ——いまの段階をやり切り、次を怖がらない
- がむしゃらに働く時期も、一つの修行。誰にでも、その時期がある
- 扉は、自然に閉じる。心配しなくても、次の扉がちゃんと開く
- 閉じる扉を、押さえ続けない。いまの段階をやり切り、次の段階を怖がらない
心を高める、経営を伸ばす。段階が変わることを怖がらないことも、心を高める側の話だと、この言葉を読み直して思いました。
坐禅会の録音から読んできた話は、ここで一区切りです。
明日、一つだけやってみる
慣れた役割や長く続けてきた働き方を一つ挙げ、閉じかけた扉を押さえていないかを見てみてください。
よくある質問
Q. 「ライフステージ」とは何ですか。
人生をいくつかの段階に分けて見る考え方です。坐禅会では、若いうちはがむしゃらに働く時期がある、段階ごとに次のステージに移っていく、という形で語られていました。
Q. 次の扉が開かないと感じるときは、どうすればいいですか。
この記事は、その方法を示していません。語られていたのは「心配しなくても」という言葉でした。私自身も、次の扉が開いていたと分かったのは、あとから振り返ったときでした。
Q. 宗教的な話として受け取るべきですか。
坐禅会での話ですが、この記事が借りたのは、段階ごとに扉が閉じて、次が開くという見方です。用語を外しても、見方は残ります。
出典
- 坐禅会 冬の接心(2018年2月)の録音記録。「でもさ、やっぱり人生にはライフステージっていうのがあって……若いうちはがむしゃらにやっぱり仕事したり、働いたりして」「これもまた一つの修行なんだよね」「めちゃくちゃやらなきゃなんない時期ってありますよ」「ライフステージごとに自然に……心配しなくてもちゃんと扉は自然と閉じて、次の扉がちゃんと開くからさ」「それぞれの年齢とか世代っていうかな……がむしゃらに仕事やる時期っていうのもやっぱりみんなあると思うんですよ」(録音の01:08:59〜01:09:47前後)
- 上記はいずれも会話の中の発言で、話者を確定できないため、発言者を特定せずに書いた(会に出席していた筆者も確定できなかった。2026年9月確認)
- 引用は録音の文字起こしから。言いよどみや、意味が取れない部分は「……」で省いた
- 「閉じる扉を、押さえない」の節は、筆者の読みです
- いまは次の段階へ移りつつある、振り返って次の扉が開いていたと感じたことがある、という記述は筆者自身のものです
- 本文中に坐禅会の関係者・老師・世話人の方のお名前は記載していません
- 本記事は特定の宗教を評価・推奨するものではありません
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