稲盛07では、六つの精進が「思想」ではなく「毎日使うための実践リスト」であることを見ました。心に積む三つと削ぎ落とす三つを、毎朝毎晩くり返す。実は、太平洋の反対側で、同じ結論に達していた人がいます。ピーター・F・ドラッカー。その結論が最も凝縮されているのが、1966年、ドラッカー56歳のときの著作『経営者の条件』です。
タイトルに惑わされてはいけません。ドラッカー名著集版の冒頭で、この本は「万人のための帝王学」と紹介されています。社長だけの本ではなく、組織で働く全員が、エグゼクティブのように働くための本。そして決定的なのは次の一点です。普通のマネジメントの本は、人をマネジメントする方法を書いている。しかし本書は、成果をあげるために自らをマネジメントする方法を書いた。他人をマネジメントできるかどうかは証明されていない。しかし、自らをマネジメントすることは常に可能である——。そもそも自分をマネジメントできない者が、部下や同僚をマネジメントできるはずがない、とドラッカーは言い切ります。
成果をあげる人に、共通の「性格」はない
ドラッカーはコンサルタントとして無数の経営者に会いましたが、成果をあげる人に共通のタイプは見つからなかったと述べています。外向的な人も内向的な人も、大まかな人も細かな人もいた。性格・姿勢・価値観は千差万別。共通していたのはただ一つ、資質を成果に結びつける「習慣的な能力」でした。逆に、知能や勤勉さ、想像力にいかに優れていても、この能力に欠ける人は成果をあげられていなかった。
つまり、成果をあげることは一つの習慣であり「実践的な能力の集積」であって、習慣である以上、常に修得が可能です。しかもその中身は、あきれるほど単純で、七歳の子供でも理解できる。ただし、十分に修得することは難しい——掛け算の九九と同じで、身体に染みつくまで反復するしかない、というのがドラッカーの答えです。六つの精進が「毎日」の精進だったのと、まったく同じ構造がここにあります。
では、反復すべき習慣とは何か。ドラッカーは、身につけておくべき習慣的な能力を五つ挙げます。
図1 五つの習慣的能力——本書の全体見取り図。①から順に修得していく
仕事からではなく、時間からスタートする
五つの筆頭は時間です。ドラッカーの観察では、成果をあげる者は仕事からスタートしない。計画からもスタートしない。時間が何に取られているかを明らかにすることからスタートする。
なぜ計画からではないのか。記憶があてにならないからです。ドラッカーは、自分の時間の使い方をメモしてもらってから数週間、実際の記録を取ってもらうという実験を紹介しています。思っていた使い方と実際の記録が似ていた試しがない——。自分の時間感覚ほど信用できないものはないのです。だから手順は三段階になります。時間を記録する。次に、非生産的な要求を退けて時間を整理する。最後に、自由になった時間をできるだけ大きな単位にまとめる。
図2 時間管理の三段階——スタート地点は計画ではなく、実際の記録である
耳の痛い指摘もあります。地位が上がるほど、管理のしようがなく、しかもいかなる貢献ももたらさない時間の割合が大きくなる。組織が大きくなるほど、組織を機能させる時間ではなく、維持し運営するだけの時間が増える。つまり、時間の記録がいちばん必要なのは、他ならぬ経営者自身なのです。
貢献に焦点を合わせ、強みの上に築く
時間を確保したら、その時間を何に向けるか。ドラッカーの答えは、外の世界に対する貢献です。仕事の過程ではなく成果に精力を向け、「期待されている成果は何か」からスタートする。社内の忙しさは、それ自体では一円も生みません。
そして貢献の道具は強みです。自らの強み、上司・同僚・部下の強みの上に築くこと。弱みを基盤にしてはならない。できないことからスタートしてはならない。人事についても同じで、「自分とうまくいっているか」を考えてはならず、「いかなる貢献ができるか」を問う。何ができないかではなく、何を非常によくできるかを考える——。好き嫌いや協調性ではなく、卓越性で人を見よという、実に厳しくも公平な人間観です。
集中の章では、この裏返しが語られます。優先順位の決定よりも難しいのは劣後順位の決定、すなわち取り組むべきでない仕事の決定です。延期とは断念を意味する。後日取り上げても、もはやタイミングは狂っている。そして集中のための第一の原則は、生産的でなくなった過去のもの——昨日を捨てることです。第一級の資源、特に人の強みという稀少な資源を、昨日の活動から引き揚げ、明日の機会に充てなければならない。
だからドラッカーは、集中を技術ではなく勇気の問題として定義します。集中とは、真に意味あることは何か、最も重要なことは何かという観点から、時間と仕事について自ら意思決定をする勇気のことである——。そしてこの集中こそが、時間や仕事の従者になることなく、その主人となるための唯一の方法だと言います。To Doリストの技法よりずっと手前に、「何をやらないと決めるか」という経営者の胆力が問われているわけです。
満場一致で決めるな——スローンの会議
五つ目の習慣、意思決定には、この本でいちばん有名な逸話が出てきます。GMを世界最大の自動車メーカーに育てたアルフレッド・P・スローンは、最高レベルの会議で意見が完全に一致したとき、こう言ったそうです。それでは、異なる見解を引き出し、この決定が何を意味するかをもっと理解するために、さらに検討することを提案したい——。つまり、全員が賛成したから、決定を延期したのです。
ドラッカーの原則は明快です。行うべき意思決定は、満場一致で行えるようなものではない。相反する意見の衝突、異なる視点との対話、異なる判断の間の選択があって、初めてよく行いうる。だから、意見の不一致が存在しないときには、決定を行うべきではない。反対意見は、決定が間違っていたときに頼れる選択肢——十分に考えた、検討済みのもの——を用意してくれる保険でもあります。いかに慎重に考え抜いても、選択肢のない決定は向こう見ずなばくちである、と。
図3 スローンの分岐——全員一致の空気こそ、いちばん危ない決め時である
ここは、読書会03「熱の中で決めるな」で見た菜根譚と響き合うところです。菜根譚は、欲の最中に見えている世界は事実そのものではないのだから、熱の中で決めるなと説きました。ドラッカーは、一色に染まった場では決めるなと説き、あえて不一致を作り出す仕組みまで示した。東洋は「熱の外」で考えることで、西洋は「不一致」を制度にすることで、同じ罠——全員が同じ方向を向いた瞬間の危うさ——を避けようとしているのです。
まとめ
- 『経営者の条件』は人をマネジメントする本ではなく、成果をあげるために自らをマネジメントする本である。「万人のための帝王学」
- 成果をあげる人に共通の性格や才能はない。共通するのは習慣的な能力であり、習慣だから誰でも修得できる。ただし九九と同じで反復が要る
- スタート地点は仕事でも計画でもなく時間。記録し、整理し、まとめる。記憶はあてにならない
- 時間は貢献と強みに向ける。劣後順位を決め、昨日を捨てる勇気が集中をつくる
- 意見の不一致がないときには決定を行うべきではない。満場一致は決定の合図ではなく、延期の合図である
最後に、この本の希望を確認しておきます。ドラッカーは、仕事ができるようになろうとする者は必ずできるようになる、と本書で約束しました。才能の書ではなく習慣の書だからこそ、この約束が成り立ちます。そしてこれは、稲盛07で見た結論——毎日の実践だけが、知識を見識・胆識へと高める——と、きれいに重なります。東の六つの精進も、西の五つの習慣も、答えは同じ——毎日くり返した者だけが変わる。
さらに終章で、ドラッカーはもう一歩踏み込みます。一人ひとりのエグゼクティブと同じように、組織もまた、成果をあげるべく体系的に仕事をし、成果をあげる習慣を自らのものにする必要がある——。個人の習慣が組織の習慣になるとき、それはこのサイトが目指す「学習する組織」の姿そのものです。毎日の習慣で自らを磨き、その習慣を組織に広げていく。心を高める、経営を伸ばす(稲盛00)という私たちの原点を、ドラッカーは西洋の言葉で裏書きしてくれています。まずは今週、自分の時間の記録から一緒に始めてみませんか。ドラッカーという人物の全体像と、彼が生涯をかけて問うたものについては、ドラッカー01で改めて見ていきます。
よくある質問
Q. 『経営者の条件』は、社長だけが読む本ですか。
いいえ。ドラッカー名著集版の冒頭で「万人のための帝王学」と紹介されている通り、組織で働く全員のための本です。人をマネジメントする方法ではなく、成果をあげるために自らをマネジメントする方法を説いています。他人をマネジメントできるかは証明されていないが、自らをマネジメントすることは常に可能である——これが本書の出発点です。
Q. 五つの習慣は、どこから始めればよいですか。
筆頭の時間からです。ドラッカーの観察では、成果をあげる者は仕事からスタートせず、計画からもスタートしない。まず自分の時間の記録を取ります。思っていた時間の使い方と実際の記録が似ていた試しはなく、記憶はあてにならないからです。記録し、整理し、まとめる——この三段階が出発点になります。
Q. なぜ、満場一致で決めてはいけないのですか。
意見の不一致がないままの決定には、間違ったときに頼れる検討済みの選択肢がないからです。スローンは会議で全員が賛成したとき、あえて決定を延期しました。相反する意見の衝突、異なる視点との対話があって初めて、意思決定はよく行いうる——これがドラッカーの原則です。
