フィロソフィが社員に浸透しない——多くの経営者が抱えるこの悩みに、稲盛和夫氏は最後の講話で答えを遺しました。盛和塾36年の締めくくりに語られたのは、華々しい総括ではありません。明日から使える、4つの語り方でした。
1983年、京都の若手経営者たちの求めに応じて始まった小さな勉強会は、36年の歳月を経て、世界100を超える塾、1万5千人に迫る塾生を擁する「盛和塾」となりました。そして2019年、横浜での第27回世界大会——約4800人の経営者が世界7カ国・地域から集まった——を最後に、盛和塾はその年の暮れに解散します。
図1 盛和塾36年の歩み——小さな勉強会から世界1万5千人の道場へ、そして自走する学びへ
稲盛塾長は体調への配慮から急遽その場への参加を見送り、約1万5千字におよぶ最後の講話「フィロソフィをいかに語るか」は代読というかたちで塾生に届けられました。塾生からすすり泣きが漏れたと伝えられるこの講話は、盛和塾36年の学びの、いわば「卒業式の式辞」です。今回はこの最後の講話から、盛和塾が経営者たちに何を遺したのかを考えます。
最後の講話が「浸透しない悩み」に捧げられた意味
最後のメッセージとして稲盛氏が選んだテーマは、意外にも華々しい総括ではありませんでした。きわめて実務的な悩み——「フィロソフィが社員に浸透しない」「フィロソフィに反発する社員がいる」。塾生から繰り返し寄せられてきた、この相談に答えることでした。
最後の最後に、塾長は塾生の一番の悩みに答えを置いていった。ここに盛和塾という場の本質が表れています。盛和塾は思想を鑑賞する場ではなく、フィロソフィを自社で実践し、従業員を幸せにするための道場だったのです。
講話で示された「フィロソフィの語り方」は4つあります。どれも、明日から使えるほど具体的です。
教え①:最初は受け売りでいい
一つ目は、拍子抜けするほど実践的です。最初はまね事でいいから、塾長の言葉をそのまま従業員に伝えなさい、というのです。
生半可に「自分はこう思う」と語っても、陳腐であれば誰も信用しません。それより、学んだことを疑わずにそのまま話す。すると不思議と言葉に権威が宿り、従業員が耳を傾けてくれる——多くの塾生が経験してきたことだといいます。そして繰り返し語り、学び続けるうちに、何年か経てば、それは借り物ではなく自分自身の考えになっていく。
稲盛氏は、自分もかつては松下幸之助、安岡正篤、中村天風から借りた言葉を使っていた、と明かしています。教養がない、ボキャブラリーがない——それでも構わない。この徹底した敷居の低さが、盛和塾が中小企業経営者の学びの場として機能した理由のひとつでしょう。
図2 受け売りから自分の言葉へ——借りて、繰り返し、自分のものにする。温故知新の順序と重なる
これは、このサイトで繰り返している温故知新の順序そのものです。まず先人の言葉(第一層の故き)を借りる。それを自分の実践(第二層)で繰り返し検証するうちに、借り物が自分の言葉に変わる。受け売りは恥ではなく、学びの正規の入口なのです。
教え②:率先垂範——実践の伴わない言葉は見抜かれる
二つ目は、経営者自身の実践です。どれほど高邁な理念を毎日説いても、社長の行動が伴っていなければ、従業員は一瞬で見抜きます。「言っていることとやっていることが全然違う」と思われた時点で、フィロソフィは逆効果にすらなる。
逆に、経営トップが会社で一番苦労し、誰よりも実践に努めている姿を見せていれば、厳しい言葉も従業員に届くようになります。稲盛氏自身、誰よりも働いている自負があったからこそ、いい加減な仕事をする従業員を遠慮なく叱れたと語っています。フィロソフィを語る資格は、語る技術ではなく、生きる姿勢によって与えられるのです。稲盛01で見た修辞立誠——誠が立ってはじめて言葉が届く——の、これが経営現場での姿です。順序はここでも内から外。生き方(内)が先で、言葉の浸透(外)は結果です。
教え③:本音で語り合う——コンパという装置
三つ目は、斜に構える従業員から逃げないことです。「きれいごとだ」と冷めた目で見る社員を放置すれば、不満は溜まり、周囲に広がっていく。だからこそ本音で語り合う場が要る。
稲盛氏の装置は「コンパ」でした。従業員が千人規模になっても、12月は毎日どこかの職場の忘年会に顔を出し、酒を注いで回り、夢を語った。酒席だからこそ出てくる本音を拾い、時に説教し、時に自分の非を認めて反省する。
海を越えても、やり方は同じでした。米国法人の幹部たちを集めた研修では、英訳した『心を高める、経営を伸ばす』を事前に配ります。返ってきた感想文は反発ばかりだったといいます。それでも丸一日、魂を込めて語り切る。過去の自分の「冷たい」振る舞いへの追及にも、正面から本音で答えました。最後には共感を勝ち取ったこのエピソードが、講話の白眉です。このサイトの出発点に置いた一冊(稲盛00)が、太平洋を越えて試された場面でもあります。
形式はコンパでなくてもいい。大事なのは、自社に合った「本音が出る場」を意図的に設計することだと稲盛氏は言います。
教え④:共に学びつづける——「門前の小僧」の告白
そして四つ目。フィロソフィを完璧に実行できる人間はいない、という認めから始めることです。
稲盛氏は、経営者は従業員にこう率直に語るべきだといいます。自分もフィロソフィのすべてを実行できたためしがない。その意味では、まだ一介の書生であり門前の小僧にすぎない。それでも生涯をかけて、実行できるよう努力していく、と。
できないから語らない、のではない。できていないと認めた上で、共に学び続ける。その姿勢こそが従業員の心に響く。体得できるかどうかではなく、折に触れて反省し、体得しようと努力を続けることが尊いのだ。これは、学習01で書いた「学習する組織」の思想と驚くほど響き合います。そして実は、このサイト自体が拠って立つスタンスでもあります。塾長として上から教えるのではなく、共に学ぶ同志として伴走する。その原型は、稲盛氏自身のこの「門前の小僧」の告白にあります。
図3 浸透の4つの教え——語り方の技術ではなく、学ぶ側・生きる側の姿勢の話であることに注目
解散は終わりではなく、始まり
講話の結びで稲盛氏は、盛和塾の解散を「新たな始まり」と位置づけました。これまでは塾長が語りかけてきた。これからは塾生一人ひとりが自問自答しながら学びを深め、実践の輪を従業員とその家族へ広げていく番だ、と。そして「盛和塾で灯された火は決して消えることなく受け継がれ」ていくと信じている、というメッセージを遺しました。
盛和塾が遺したものは、機関誌や講話録といった教材だけではありません。経営者が従業員の幸せのために、真摯に人生哲学・経営哲学を学ぶ——稲盛氏が「世界中を探しても他に類を見ない」と呼んだ、その学びの文化そのものです。塾は解散しても、各地で自主的な勉強会が続き、その火は今も受け継がれています。
師を失ったあと、学びを続けられるかどうか。それこそが、師の教えが本物だったかどうかの証明なのだと思います。
さて、フィロソフィ(稲盛01)、会計(稲盛02)、そして共に学ぶ場(今回)と見てきました。シリーズの締めくくりは、これらを経営者一人の器の中で束ねる話です。次回、「経営者に求められる3つの力」——自力・従業員の力、そして宇宙の力。稲盛哲学のスケールが最も大きく現れるテーマに進みます。
よくある質問
Q. 理念やフィロソフィが社員に浸透しません。まず何から始めればよいですか。
受け売りから始めて構いません。稲盛氏が最初に挙げた教えがこれでした。生半可に自分の言葉で語ろうとすると陳腐になり、かえって信用されない。学んだことを疑わずにそのまま伝えるほうが、言葉に力が宿ります。繰り返し語り、学び続けるうちに、それは何年かかけて自分自身の考えに変わっていきます。
Q. 理念を語ると「きれいごとだ」と冷めた反応が返ってきます。どうすればよいですか。
放置しないことです。冷めた社員の不満は溜まり、周囲に広がっていきます。必要なのは、本音が出る場を意図的に設計することです。稲盛氏の場合はコンパでしたが、形式は問われません。自社の環境と社員の状況に合った、本音で対話できる場をつくることが要点です。
Q. 自分自身が実行できていないのに、社員に語ってよいのでしょうか。
むしろ、できていないと認めたうえで語るべきだ、というのが四つ目の教えです。稲盛氏は、自分もまだ一介の書生であり門前の小僧にすぎない、それでも生涯をかけて努力していく、と社員に率直に伝えるよう説いています。体得できるかどうかではなく、折に触れて反省し、努力を続けることが尊いのです。
