「可愛がられる若手」について、おっさんのルーキーからのアドバイス

人間にはある日突然、「自分は何もわかってなかった」と気づくことがあります。なんて礼儀知らずなことをしてしまったんだ、なんて他人の立場を考えない振る舞いをしてしまったんだ…。そういった「発見」は往々にして最早ワビを入れるには遅すぎる時期に起きてしまう。そうなれば、せいぜい何か理由をつけて手紙を添えた贈り物をするくらいしかリカバー手段がありません。贈り物をするような間柄でない人の場合はそこでデッドエンドです。もっといえば、既にデッドエンドは発生してしまっているかもしれません。

もちろん、人はそういった失敗を数限りなく繰り返して生きているもの。20代なんて熟練の経営妖怪からみえれば「そろそろハイハイも終わりかな?」くらいの年齢です。礼儀や立ち回りを上手くやれないのは当たり前、お粗相が起きるのは最早必然、それくらいの生暖かい目で見守られているといっていいでしょう。

それでも尚、可愛がられる若手と残念ながらそうはならない若手の格差は厳然として存在します。若い人は「なにそれウザそう」と感じるかと思いますが、熟練の商売人に「可愛がられる」メリットは冗談一切抜きで計り知れません。大き目の見積もりを取っているところに経営妖怪がフラっとやってきて、業者にひと声かけたら0の数が1個減った。その程度のことは当たり前に起きます。逆に言えば、経験も知識も乏しい若手経営者というのはあらゆる場所でボられているということです。

あなたが経営者、あるいは事業主やフリーランスでありたいと思う人ならこの「ボられる」という現象に対して一言の文句もつけてはいけません。取れる人間から取るのは当たり前のことです。若手経営者なんてちょっと風が吹いたらどこかへ飛んでいってしまうのですから、「次の取引」なんて存在すら怪しいものに期待する必要はない。かっぱげる時にしっかりかっぱいでおけ。その判断は往々にして正しいのです。

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礼儀作法を身に着ければいいのか?

可愛がられる若手になるためにはどうすればいいのか。そうか、まずは礼儀作法を身に着けるべきなのか。そういう考え方もあるかもしれません。ビジネスマナー講習会などに通ってみるのも悪いことではないでしょう。しかし、そこから得られるのは「可愛がられる」というよりは、どちらかと言えば「舐められない」「隙を作らない」ための技術ではないかと僕は思います。もちろんこれはこれで大切なのですが、ビジネスマナーをバシバシに鍛え上げたところで、熟練の経営妖怪との知識経験の差が埋まるわけでは全くありません。

そして、僕の見るところ「可愛がられる」若手にはビジネスマナーなんてまるでメチャクチャという人も非常に多いのです。僕自身が「この人は伸びそうだな」と感じて仲良くしている若手の方も、あまりビジネスマナーに長けた人は多くありません。もちろん、未来に期待して関係を構築する以上、なんらかの才覚があるのは当然のことですが、それ以上に感じることとして、彼らは対人関係において「やり過ぎる」人たちだということです。

やりすぎマナー

3年前には借金を背負った無職だった僕も、最近は本が売れて「先生」なんて呼ばれることが増えました。「先生」と呼ばれるほど人間の精神に悪いことはありません。自分が偉い人間だと思い込んだ人々が、「先生」と呼ばれて「ウム」と答えられる自意識を身に着けてしまった方々の末路はしばしばツイッターで観測することができます。女子大生にマナーがなってないと叫んで炎上するような人間になることは本当に避けたいと、中年期のとばぐちにいる僕は切実に感じています。

話がそれました。そんなわけで、僕のところにもなんらかのツテやあるいは知識を求めて若者がやってくるようになりました。DMにも「是非お話を聞かせてください」みたいなやつが結構届きます。正直言って9割は迷惑です。しかし、1割くらいは「こいつは面白そうだな」という人間が存在することもまた事実ではあります。

この1割に共通する特徴を考えると、「前のめっている」ことが挙げられると思います。面白かった出来事としては、僕のイベントにふと現れて「僕の会社はもう僕の会社じゃないんです!」と泣きながらゴインゴイン酒を飲んで正体を失い、そのまま僕にタクシーに詰め込まれて帰って行った若い男で、彼はその後「是非お詫びの席を設けたい」と再度連絡をくれて、結果僕たちは友人になりました。この話の教訓はどこにあるのか。「そうか!イベントで酔いつぶれればいいんだな!」と考えたみなさんはイエローカードです。

この場合の良さは、「思い出したくもないだろうというくらい派手にやらかしてしまった人間が、きちんとお詫びの羊羹を持って、わりと感じのいいお店を予約してお詫びに来た」というギャップにあります。それに加えて僕が「君の会社ってどうなったの?」と質問したかったという点がありますが、これは再現性が乏しいので忘れましょう。

若者というのは基本的に「やらかす」ものですし、「礼儀知らず」なものです。そして、実を言えばそういった「若さ」を多くの人間は嫌いません。ただし、他人のイベントに現れて酔いつぶれているだけではもちろん話にならない。そのあとの急転直下の「お詫び」の行動がとれるかどうかに全ては懸かっているのだと僕は思います。

失敗してもいい、リカバーに本気を出せばいい

そういうわけで、このコラムの冒頭に書いてあった文章は完全に間違っています。あなたがもし、ある人に対して無礼なことをしてしまったことに気づいたとして、現在でもその人と距離を詰めたいなら、深いことなど何も考えず即時行動に移すべきなのです。もちろん、「結構です」と冷たくあしらわれる可能性は高いですが、別にそうなったところで損はありません。「一応の礼儀は尽くそうとしていたな」という評価だけは得ることができます。

こうして自分が30代の半ばになって気づいたことですが、こういった行動のアグレッシブさこそが若手に求められている「可愛げ」なのだと思います。もっと言えば、若い時期に限って人間は行動の「過剰」をあまり問題にされないということです。そう、お詫びのメール文言をチマチマ推敲している暇があったら、とらやの羊羹を買ってお詫びのアポイトメントを取るべきなのです。そして、過剰なものを減らして適切に調整することは、不足しているものを増やすよりはよっぽど簡単です。「過剰」は「伸びしろ」なのです。

振る舞いに高度な洗練が求められるのは、業界にもよりますがせいぜい30代半ばくらいから、それ以前の若手に必要なのは、細かいことは考えず勢いよく礼を尽くそうとする姿勢そのものです。多少ヘタクソなのはむしろチャームポイントとして解釈される場合が多いでしょう。もちろん、出来る限りできちんとふるまうのは当たり前のこととしても。流石にお詫びの席にジャケット着てこないのは引くし、お詫びの会食向けの店はググってちゃんと調べようね。それくらいはね。おっさんとしてはお詫びの席とはいえ若者に奢られるわけにはいかないから、トイレに行くフリして会計済ませるとかの小技もいいね。ただし、そのあとおっさんが「払う」と言い張ったら1回辞退して、それでもだめなら受け取ろうね。

さて、そんなわけである日突然人間には「俺はなにもわかってなかった」と気づくことがあります。そして、僕はまさに30代半ばという「若さ」で許されない年齢に突入したところです。人生の様々な「ああしておけばよかった」がフラッシュバックして辛くなってきたので、このコラムはここまでとさせていただきます。

若者のよき未来を祈ります。僕もなんとかおじさんのルーキーとして頑張っていきます。ベテランの若者になるのだけは避けたい、そういう気持ちでいっぱいです。

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この記事を書いた人

1985年、北海道生まれ。大学卒業後、大手金融機関に就職するが2年で退職。
現在は不動産営業とライター・作家業をかけ持ちする。
著書に『発達障害サバイバルガイド: 「あたりまえ」がやれない僕らがどうにか生きていくコツ47』(ダイヤモンド社)、『発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術』(KADOKAWA)がある。

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