前回は、ピチャイ氏の「技術に依らない三つのフィルター」を読みました。
今回は、同じ時期に別の会社のトップが株主に宛てて書いた、時間の使い方の話です。
Microsoft CEOのサティア・ナデラ氏は、年次書簡の題名を「数十年で考え、四半期で実行する」としました。順序は変えません。まず私のルーツから。次に彼の想像力。最後に、私の中に何が生まれたか、です。
私の会社の「数十年」と「四半期」
私の会社にも、二つの時間があります。
変えないほうは、一つだけです。ここ10年は、一緒にAI時代の未来を生きていく。それだけを決めています。
大事なのは「一緒に」のところです。自分だけが先に行くのではありません。お客様と、社員と、同じ時代を通っていく。そう決めました。
四半期のほうは、コンテンツです。
時代が変わり、情報が増えます。そのたびに、以前に想定して書いたものを見直し、UPDATEして直しています。四半期どころか、もっと短い周期で回っている実感があります。
この二つは、たいてい静かに並んでいます。ただ、ぶつかる場所が一つあります。
同じ未来を描けているかどうか、です。
コンテンツは直せます。数字も見えます。しかし「一緒に」が成立しているかどうかは、四半期では測れません。
相手が私と同じ絵を見ているのか。それとも、私が一人で先の絵を描いているだけなのか。四半期を何回まわしても、その答えは出てきません。
数十年の側にしか答えのない問いを、四半期の道具で測ろうとする。私がつまずくのは、いつもここです。
図1 数十年で考え、四半期で実行する——変えない方向の下で、四半期ごとに試して直す
ナデラは何を言ったか
ナデラ氏は、数十年で考えつつ四半期で実行しつづけなければならない、と書きました。私はそこに、自分の会社の時間の使い方の偏りを見ました。
サティア・ナデラ氏は、Microsoftの会長兼CEOです。2025年10月15日付の年次株主書簡が、同社の公式サイトに掲載されています。以下は、そこから私が自分で訳したものです。
氏はまず、創業から50年、同社がAIのプラットフォーム転換の只中にいると述べます。現在のプラットフォームを大規模に届けながら、次の世代を築く。この均衡を取るのは骨の折れる仕事で、できた会社は少ない、と。
そのうえで、こう書いています。成功するには、数十年で考えつつ四半期で実行しつづけなければならない。継続して改善するために必要な謙虚さと好奇心をもって毎日に向き合い、同時に、未来への大胆なビジョンに導かれながら、と。
私が目を留めたのは、文化についての一節です。成長マインドセットが、この時代を先導しつづける力の要である。私たちは「learn-it-all」——学びつづける人——でなければならない。進んで実験し、評価に導かれ、継続的な改善に献身する、と氏は述べています。
もう一つは、氏が全社員に投げた問いです。15年前、クラウドの旅に出たとき、大胆なビジョンがあり、浮き沈みを通して粘った。そして問うた。いま取り組んでいることのうち、15年後に振り返って「正しかった」と言えるものは何か、と。
働き方についての一文もあります。仕事の範囲を広げ、引き継ぎを減らし、生産性を非線形に伸ばす道具をチームに渡す。それは効率のためだけではなく、より大きな夢を描き、より少ない摩擦で「仕事の完了」に至るためだ、と氏は書いています。
私が「引き継ぎ」を減らした日
引き継ぎを減らした場面は、はっきりしています。
議事録も、資料も、マニュアルも、すべてBoxに統合しました。そのうえで、そこにMCPでつなげました。
MCPは、AIが外部のファイルやサービスを直接読みに行くための接続の仕組みです。
これで何が変わったか。いつでも、生のデータを読みながら進められるようになりました。
以前は、誰かが要約し、誰かが渡し、受け取った側がまた読み直していました。渡すたびに、少しずつ落ちます。
いまは、元の記録をそのまま見にいけます。渡す工程が要りません。
速くなったのは、確かです。
ただ、氏の言う「引き継ぎを減らす」は、効率だけの話ではありませんでした。より大きな夢を描き、より少ない摩擦で仕事の完了に至るため、と書かれています。
摩擦が減った分を、何に使うか。そこは、まだ私の側の宿題です。
私がつまずいた、四つのパターン
数十年と四半期の間で、私は何度も同じところでつまずきました。心当たりがあれば、同じ道です。
パターン1:数十年の話ばかりして、今四半期が動かない
- 理念や構想を語る時間が長い
- 今月試すことが決まっていない
- 一年後、同じ構想を語っている
氏の書簡は、両方を同時に求めています。数十年の方向があっても、四半期の実験がなければ、評価に導かれる学びが始まりません。
パターン2:四半期の数字ばかり追って、方向を失う
- 毎期の目標だけで判断する
- 15年後に「正しかった」と言えるものが挙がらない
- 忙しいが、積み上がらない
氏の問い「15年後に振り返って正しかったと言えるものは何か」は、四半期だけで走る人への問いです。私は、この問いに即答できませんでした。
パターン3:「知っている人」でいようとする
- 分かっているふりをして、質問しない
- 実験より、正解を先に求める
- 評価に導かれることを、恐れる
氏の言う「学びつづける人」は、「知っている人」の反対です。知っているふりは、学びを止めます。まず試して、返ってくる評価で直す。この順序を、私は何度も逆にしました。
パターン4:未来が見えなくなって、四半期に逃げる
これは、私の失敗です。
ある時期、私は未来が見えなくなりました。
AIの進化のスピードを、読み誤ったからです。速すぎて、どこへ向かうのかが分からない。分からないまま、そこに心中する覚悟が持てませんでした。
そうなると、人はどうするか。
現実的な進め方を選びます。つまり、四半期の実行だけになります。
目の前の案件を回し、今期の数字をつくる。それ自体は間違っていません。ただ、数十年の側が空白のままでした。
氏の題名は「数十年で考え、四半期で実行する」です。私がやっていたのは、四半期で考え、四半期で実行することでした。
読み誤ったこと自体は、仕方がないと思っています。誰にも読めません。
問題は、読めないときに方向まで手放したことでした。
図2 「知っている人」から「学びつづける人」へ——実験・評価・改善の順序が、組織を学習の機関にする
ドラッカーが「学習と教育の機関」と呼んだもの
学びつづける人の話は、個人の姿勢に見えます。しかし古典に当てると、組織の定義の話でもあります。
ドラッカーは『新しい現実』で、こう述べています。
マネジメントとは、ニーズと機会の変化に応じて、組織とそこに働く者を成長させるべきものである。組織はすべて学習と教育の機関である。
(P・F・ドラッカー『経営の哲学』上田惇生編訳、ダイヤモンド社より)
同じ『経営の哲学』には、『ポスト資本主義社会』からの言葉もあります。
知識労働者とサービス労働者の生産性向上には、継続学習を組み込むことが必要である。知識は、その絶えざる変化のゆえに、知識労働者に対し継続学習を要求する。……
(同じく『経営の哲学』所収、『ポスト資本主義社会』からの抜粋)
さらに『マネジメント』では、重要なことは明日何をなすかではない、不確実な明日のために今日何をなすかである、とあります。
(同じく『経営の哲学』所収、『マネジメント』からの抜粋)
ナデラ氏の「数十年で考え、四半期で実行する」は、ドラッカーのこの一文の言い換えだと、私は読みます。明日のために、今日何をなすか。継続学習を組織に組み込むとは、今日の四半期に実験を置くことでした。
絶望し、そして欲望が生まれる
世界の最先端にいる人の言葉を読むと、私はまず絶望します。そして、その絶望から欲望が生まれます。
今回の絶望は、書簡の中身にではなく、自分のほうにありました。
数十年で考え、四半期で実行する。この一行を読んだとき、私は四半期しか持っていなかった時期を思い出しました。方向を手放していた自分に、後から気づかされた形です。
ただ、読み進めるうちに、別のことが起きました。
これは、前にも聞いたことがある。
稲盛和夫氏が説いた、楽観的に考え、悲観的に実行するという考え方と、同じ構造をしています。要旨として記します。
楽観の側で未来を描き、悲観の側で今日を積む。数十年で考え、四半期で実行する。言葉は違いますが、言っていることは同じだと私は思いました。
盛和塾で聞いたことと、Microsoftの株主書簡が、同じ場所を指していました。
これは私にとって、希望のほうでした。
最先端の言葉は、いつも私を置いていきます。しかし今回は、置いていかれた先に、以前に習ったものが立っていました。
学んできたことは、無駄になっていません。むしろ、最先端を読み解くための道具になっていました。
ギャップは、埋めるべき欠損ではなく、燃料です。次の記事「ギャップは、埋めるものではなく、燃料である」で、この距離の測り方を扱います。
そして問いは、シリーズの出発点に戻ります。なぜ、経営者は学びつづけなくてはいけないのか。学びつづける人でなければ、数十年の方向も、四半期の実験も、どちらも持てないからです。
あなたが15年後に「正しかった」と言いたいことは、何ですか。よければ、その話を聞かせてください。塾長としてではなく、同じ四半期を回す同志として。
よくある質問
「数十年で考え、四半期で実行する」は、大企業の話ではありませんか?
大きさより、二つの時間を同時に持てるかの話です。小さな会社は四半期に流されやすく、数十年の方向を失いがちです。氏の問い「15年後に正しかったと言えるものは何か」は、規模と無関係に効きます。
「learn-it-all」とは何ですか?
氏の定型句で、私は「学びつづける人」と訳しました。「知っている人(know-it-all)」の反対です。進んで実験し、評価に導かれ、継続して改善する姿勢を指します。
何から手をつければいいですか?
私の順序は、今四半期に試すことを一つ決め、返ってきた評価で直すことです。同時に、15年後に「正しかった」と言いたいことを一行書きます。両方あって、初めて往復が始まります。
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出典
- Satya Nadella「Microsoft Annual Report 2025 — Shareholder Letter」(microsoft.com/investor・2025年10月15日付)。引用は筆者訳
- P・F・ドラッカー『経営の哲学——いま何をなすべきか』上田惇生編訳、ダイヤモンド社(『新しい現実』『ポスト資本主義社会』『マネジメント』からの抜粋)
- 稲盛和夫の考え方(要旨)。盛和塾での学びに基づく記述であり、特定の著作からの逐語引用は行っていない
