道具は、道の代わりにならない——「道」とは変わらないルールである

前回、言葉が構造を決めるという話の最後に、一つの定義を予告しました。道とは道徳のことではなく、目標に到達するための変わらないルールである。今回は、その道の話です。素材は、岡本吏郎先生の読書会「真剣に本を読む会」第一シーズン第13回(2021年6月)。言志録の十六「生々の道」をいったん離れ、『中庸』(岩波文庫『大学・中庸』金谷治訳注)で道をまとめた、外篇と題された回です。

目次

「道」は、道徳ではない

道という字を見ると、私たちは反射的に道徳を思い浮かべます。書道、柔道、人の道。どこか説教の匂いのする字です。ところが『中庸』の冒頭は、まったく別のことを言っています。天が命じたもの、それが性。その性にしたがうこと、それが道。そして道を修めること、それが教。

『中庸』は、大学・論語・孟子と並ぶ四書の一つです。もとは『礼記』という書物の中の一篇で、孔子の孫にあたる子思の作と伝えられています。後に朱子が四書として、その体系にしっかりと組み込みました。かなり重要な古典です。

読書会では、冒頭の三行が次のように解きほぐされました。命という字は命令のことですが、同時に、働きという意味が重要だと補足されていました。性とは、人が天から、かくあるべしと定められた本質のこと。道とは、その性を発動させる法則のこと。そして教とは、各人に道を行わせるために、度合いと形式を定めたもの——道標のしおりです。

つまり道とは、善悪の教訓ではありません。与えられた本質を発揮するための、目標到達のルールであり、時代が変わっても変わらない法則のことです。岡本先生は、性は命じられたものなのだから、人嫌いでも一人好きでも構わない、と軽やかに言い添えていました。欠点を直す話ではなく、持って生まれた素質をどう発動させるかという、構造の話なのです。

「道」は道徳ではない——中庸の性・道・教 命ずる 天から定められた 本質・素質 性を発動させる 変わらない法則 度合いと形式を定めた 道標のしおり したがう=道 修める=教 よくある誤解 道=道徳・善悪の教訓 中庸の定義 道=目標到達の変わらないルール 『中庸』冒頭の構造——道は説教ではなく、素質を発揮するための法則である

図1 性・道・教の構造——道とは、天から与えられた性を発動させる、変わらない法則である

誰も聞きたがらないルール

変わらないルールがある、と聞いて喜ぶ人はほとんどいません。読書会でも、このルールほど聞きたがる人がいないのが謎なくらいだ、と語られていました。近道を探すほうが楽しいからです。

興味深いのは、岡本先生自身の自己開示です。この法則の大事さは頭では理解しているが、実際に事を進めるときには、やはりよく無視してしまう。師が自らの無視を認める——だからこの話は、説教になりません。私たちも同じです。ルールの存在をうすうす知りながら、目の前の便利さに流れていく。

そしてこの構図を、これ以上ないほど鮮明に見せる出来事が、この回では語られました。

槍ヶ岳——道具が、人を上げてしまった

2021年のゴールデンウィーク、槍ヶ岳で3人が滑落して亡くなる事故がありました。読書会で焦点が当たったのは、事故そのものではなく、プロレベルの登山者やガイドの間での受け止め方です。「あんな連中でも上がれちゃう」。経験の浅い登山者が、なぜ槍ヶ岳の頂まで到達できてしまったのか。

「道具があげちゃったんですね」。道具が進化し、本来なら長い訓練の先にしか立てない場所へ、装備が人を運んでしまう。3人が取った行動は、山を知る人間なら絶対に取らない行動だったといいます。しかし、山を知らなければ、誰もがやってしまう行動でもありました。

道から外れても、道具の力で結構やれてしまう。「やれてる気になっちゃう、怖いですよね」。道具は、目標地点の近くまで運んでくれます。けれども、道を歩いた者だけが身につける判断力までは、与えてくれません。自然が牙をむいたとき、その差が命を分けます。

AIは、最強のプロセスカットの道具である

これは、登山だけの話ではありません。読書会では、現代社会にはプロセスをカットする道具があふれていて、道から外れてもやれてしまう、と指摘されていました。便利な道具の発達が、むしろ道から外れることを後押ししている、とも。テク01の結びに置いた一文——道具は、道の代わりにならない——の一次出典は、実はこの回です。

AIは、槍ヶ岳のどんな最新装備よりも強力な、プロセスカットの道具です。文章も、分析も、企画書も、一瞬で頂上の近くまで運んでくれます。だからこそ、同じ危険が生じます。プロセスを飛ばして成果物だけを手にすると、人はやれている気になる。そして状況が急変したとき、自分の足で下りる力がないことに気づくのです。

念のために言えば、道具そのものを憎む話ではありません。この回では、岡本先生自身の逸話も語られていました。かつて易の本を書いたとき、参照したかった朱子の『語類』が日本になく、研究者のグループが少しずつPDF化したものに助けられて書き上げた。そして今では、日本にない中国の古典もAmazonで普通に買える。道具は、届かなかった場所へ私たちを届けてくれます。問題は道具ではなく、道具が飛ばしたものへの無自覚のほうにあります。

経営者がテクノロジーを学ぶ理由は、道具を使いこなすためだけではありません。道具に飛ばされたプロセスを自覚し、意識して取り戻すためです。

道具は、プロセスをカットする 道を歩く(本来の道すじ) 訓練 経験 判断力 頂上 一段ずつ積み上げるから、下りる力も身につく 道具で飛ぶ(プロセスカット) 道具(装備・AI) 頂上の近く 一瞬で到達 訓練・経験・判断力が 抜け落ちている 状況が急変したとき、 自分の足で下りる力がない

図2 道具がカットするもの——頂上の近くには立てても、判断力は積み上がっていない

道を知るには、自分を観察するしかない

では、その道はどこで見つかるのでしょうか。中庸の構造に戻れば、答えは明快です。性にしたがうことが道なのだから、出発点は自分の性、つまり本質の観察にあります。「道を知るためには、自分をじっくり観察するしかない」。読書会の結論は、この一言でした。ソクラテスの「汝自身を知れ」も、同じ場所を指しています。洋の東西の知が、ここでも合流します。

自分を見れば、分かるはずなのです。自分はこういうことが苦手で、こういうことが得意だ、と。しかし人は、そのまま自分を見ません。隣でうまくやっている誰かを見て、自分にもできるはずだと、道からずれていく。

当サイトが一貫して内→外の順序にこだわる理由も、ここにあります。外の情報を集める前に、まず自分の内を見る。道は、外にではなく、自分の性の側にあるからです。

天道と地道——言葉の系譜

第13回では、道をめぐる言葉の系譜も整理されました。まず天道。うさんくさく聞こえますが、直訳すれば天のルールです。太陽は東から昇り、季節は春夏秋冬とめぐる。たしかに、ルールはあります。次に地道。こちらは、人が理屈として語る筋道、と柔らかく捉えます。

この二つを合わせた言葉が天理。天理を縮めたものが道理で、人としてのルールを指します。道理は義とも呼ばれ、そこから道義——人の道——という言葉が生まれる。佐藤一斎も言志耋録の十で、同じ構造を書いています。慮らなくても自然に知る良知は天道にあたり、学ばなくても自然にできる良能は地道にあたる。そして人間は、この二つから逃れることができない、と。

ふだん何気なく使う道理や道義という言葉の背後に、天から人へと降りてくる一本の筋道が通っているわけです。

言葉の系譜——天から人へ降りてくる筋道 天道 天のルール(太陽の運行・四季) 地道 人が理屈として語る筋道 良知(自然に知る)にあたる 良能(自然にできる)にあたる 天理 天道と地道を合わせた言葉 道理 人としてのルール 道理の言い換え 道義 人の道 ふだん使う道理・道義の背後には、天から人へ降りる一本の筋道がある

図3 言葉の系譜——天道と地道が天理となり、道理・義・道義として人の世に降りてくる

むすび

変わらないルールに従う経営を、愚直に貫いた人がいます。稲盛和夫です。人間として何が正しいかで判断する——心を高める、経営を伸ばす(稲盛00)で見た、あの原理原則の経営は、この意味での道を歩く経営でした。流行の道具は次々に変わります。しかし、道は変わりません。

この回の宿題は、印象的でした。今日まで生きてきて邂逅した、印象的な教えについて書いてください、というものです。あなたにも、思い浮かぶ言葉が一つ、あるはずです。その教えは、あなたに道を歩かせようとした、誰かのしおりでした。

道を知る出発点が、自分の観察にあるのなら。次に見るべきものは、自分と自社の来歴です。歴史を素材にする学び——温故知新の第二層へ、話はつながっていきます。

よくある質問

Q. 「道」は、道徳とどう違うのですか。

中庸の定義では、道とは天から与えられた性を発動させる法則であり、目標に到達するための変わらないルールです。書道や柔道という言葉の印象から、道徳の教訓と混同されがちですが、善悪の話ではなく構造の話です。欠点を直す話ではなく、持って生まれた素質をどう発揮するかという枠組みで捉えると、誤解が解けます。

Q. 道具を使うこと自体が、いけないのでしょうか。

いいえ。問題は道具ではなく、道具がカットしたプロセスに無自覚なままでいることです。槍ヶ岳の事故で語られたのは、装備が実力を超えた場所へ人を運び、やれている気にさせてしまう構図でした。AIも同じです。道具は使いながら、飛ばされたプロセスが何かを自覚し、判断力を別に育てていくことが要点になります。

Q. 道を知るために、まず何をすればよいですか。

自分をじっくり観察することです。中庸の構造では、性にしたがうことが道なので、出発点は自分の性——何が得意で、何が苦手か——の観察にあります。隣のうまくいっている誰かではなく、自分を見る。外の情報を集める前に内を見るという、内→外の順序を守ることが第一歩です。

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この記事を書いた人

Takuomi Mochidaのアバター Takuomi Mochida 株式会社ベンチャーネット代表取締役

株式会社ベンチャーネット 代表取締役
2005年に株式会社ベンチャーネットを設立後、SEOをはじめとするデジタルマーケティング領域のコンサルティングサービスを展開
広告・SNS・ウェブ・MA・SFAと一気通貫で支援を行っています
著書に『普通のサラリーマンでもすごいチームと始められる レバレッジ起業 「バーチャル社員」があなたを救う』(KADOKAWA、2020年)

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