六百の公案を終えて、最初からやり直した——十六歳の問いが解けるまで

この記事でわかること

  • 修了しても解けていないと認め、最初からやり直した歩み
  • 証明される時点と、腑に落ちる時点はずれるという話
  • 完了と解決は別——問いは取り下げなければ生きている

前回で、輪読してきた一冊を読み終えました。

ここで本を離れます。この会で教えていた老師自身が、なぜこの道に入ったのか。

出典は、全国誌に掲載された対談です。八十九歳のときに、本人が自分の歩みを語っています。

読んで、私が受け取ったのは修行の話ではありませんでした。問いを立ててから答えが出るまでに、どれだけかかるかという話です。十六歳で立てた問いは、修行終了の証を受けた翌年に、ようやく解けています。

目次

十六歳の夏

十六歳の夏、老師には一つの問いがありました。人は死んで、どこへ行くのか。

その問いを抱えて、老師は菩提寺の和尚に、坐禅をさせてほしいと申し出ます。

「正しい師匠につかなくてはなりません」

ここが、私がいちばん驚いたところでした。

頼まれた和尚は、自分が教えるとは言わなかったのです。

「ただ坐禅をするには正しい師匠につかなくてはなりません」

そう答えて、別の師を紹介します。少し前までその寺で坐禅会を指導していた師の系統に、まもなくその寺で教えることになっている人がいる、と。

目の前に来た志願者を、自分で抱え込まなかったのです。

前に書いた正師を求める話が、そのまま実地で起きていました。教える側が、自分の限界を先に言っている。

その後、老師は紹介された師に相見します。

三十歳で六百、それでも解けていなかった

三十歳の時に、六百以上の公案の調べを終えたと本人が語っています。

公案とは、師から与えられる問いのことです。それを六百以上、一通り終えた。カリキュラムを修了したわけです。

ところが——。

最大の疑問だった生死問題が解決したとは言えなかった。

十六歳のときの問いが、十四年かけても解けていなかったのです。

老師はそれを、師に正直に申し上げます。返ってきた言葉が、これでした。

「まだ本当に徹底しないからだろうね」

そして老師は、再参を申し入れ、もう一度最初から公案に参じ直しました。

問いを立ててから、答えが出るまで 16歳 問いが立つ 門を叩く 30歳 六百以上の公案を終える それでも解けていない → 最初からやり直す 36歳 二巡目を終える 40歳 修行終了の証を受ける その翌年〜 赴任先で 答えが来る カリキュラムの修了と、問いが解けることは、別だった しかも「終了の証」より、さらにあとに来ている 出典:『致知』2021年8月号12・14ページ(本人の語り)

図1 問いを立ててから、答えが出るまで

終了の証を、受け取った

二巡目を終えたのが、三十六歳のとき。

その前後から、師が不在のときに指導していた別の師にも独参するようになり、そこで多大な啓発を受けたと語っています。

別の独特な公案があり、その師の接心に何度か参加するうちに、だんだん生死問題が気に掛からなくなっていったとも言います。

解けたのではなく、気にならなくなった。そういう段階が途中にあったようです。

そして四十歳のとき、師が特別に修行終了の証を行い、軒号を授けました。

普通なら、ここで話が終わります。修行は終了したのですから。

転機は、その翌年に来た

ところが本人は、こう語ります。

「私の運命を変える本当の転機が訪れたのは、まさに罷参斎をしていただいた翌年でした」

罷参斎というのが、その終了の証です。

その年、老師は社命で海外に赴任します。言葉が違い、仕事の仕組みも違い、疲れ果てていた、と。

ある日、仕事を終えて重い鞄を提げ、地下鉄の駅の長いエスカレーターを下っていた。電車がものすごい音を立ててホームに入ってきた。

「その音を聞いた途端、全く自分の存在がなくなってしまったんです」

鞄を持つ手も、改札を歩く足もある。けれども、自分がいない。夢を見ているような気分で家に帰った、と語られます。

数日後の夜中、ふと目が覚めた。やはり自分がいない。

そして、あちこちから黒い物体がすごい勢いで飛んできて、手になり足になり、頭と胴になって一つの身体になった——その瞬間に。

「俺は生きていたんだ」

はっきり目が覚めた、と語られています。

この体験について、本人はこう結びます。

「私はこの時、初めて本当に見性したと思いました」

さらに本人は、こう言い換えています。『般若心経』は形あるものをすべて空だと言うが、自分もこの体験で、そもそも自分という存在はどこにもなかったんだと分かった、と。

十六歳のときの問いに、ここで答えが出ています。死んでどこへ行くのかではなく、行く主体のほうがなかった、という答え方でした。

証明された時点と、腑に落ちた時点はずれる 40歳・修行終了の証 師が特別に行い、軒号を授けた 外から見れば、ここが完了 → その翌年・赴任先で 疲れ果てた帰り道、駅の音で 「初めて本当に見性した」 答えは、修行の場でも、坐っている最中でもなく くたびれて仕事から帰る途中に来た 十六歳で立てた問いに、ここで答えが出ている 出典:『致知』2021年8月号14ページ(本人の語り)

図2 証明された時点と、腑に落ちた時点はずれる

三つ、動かなかったこと

この歩みを並べて、私が受け取ったのは三つです。

一つ目。問いを取り下げなかった。十六歳の問いに答えが出たのは、修行終了の証を受けた翌年です。途中でもうこれでいいにしていません。

二つ目。修了しても、解けていないと言った。六百以上を終えた時点で、解けたことにできたはずです。それを師に正直に申し出て、最初からやり直した。

三つ目。答えは、修行の場では来なかった。坐っている最中でもなく、くたびれて仕事から帰る途中の駅で来ています。

検収と、使えるようになる時点

私は基幹システムの導入を支援する仕事をしています。

この仕事には、完了の証があります。検収です。要件を満たしたと双方が確認して、署名する。

ところが、その日に現場が使えるようになっているわけではありません。腑に落ちる時点は、たいていもっとあとに来ます。それも、忙しい日の何でもない場面で。

この対談を読んで、その順番を責める気がなくなりました。証明される時点と、腑に落ちる時点はずれる。それが普通なのだと思います。

そして、いちばん重いのが二つ目でした。

修了したのに、解けていないと言えるかどうか。

私はこれを言えていません。全項目が終われば、完了と報告してきました。本当は、まだ腑に落ちていないと分かっている場面があります。

言える関係を先に作っておかないと、言えないのだと思います。そのための独参だったのかもしれません。

もう一つ。答えが道場ではなく駅で来たことを、私は軽く見ていました。

仕事でも、腑に落ちる瞬間は会議室では来ません。トラブルの当日か、休み明けの朝か、まったく別件の最中に来ます。場は用意できても、その瞬間は用意できない。

まとめ——完了と、解決は別

  1. 問いは、取り下げなければ生きている。十六歳の問いが、修行を終えたあとで解けています
  2. 修了は、解決ではない。六百を終えても解けず、最初からやり直しました
  3. 答えは、場を選ばない。道場ではなく、疲れ果てた帰り道に来ています

心を高める、経営を伸ばす。高まったかどうかは完了の判子では分からない、というのが今回の読後感でした。

趙州という中国の禅僧は、災難について聞かれてたったひと言を返しました。何と返したのか。次回も、この対談を読みます。

明日、一つだけやってみる

最近「完了」と報告した仕事を一つ選び、本当に腑に落ちているかを問い直してみてください。まだなら、それを正直に言える相手がいるかも確かめてください。

よくある質問

Q. そんなに長くかかるなら、普通の人には無理ではありませんか。

この対談が示しているのは、取り下げなければ生きているということだと読みました。

毎日全力で取り組み続けた歳月ではありません。会社勤めをしながらの歳月です。続いていたのは問いのほうでした。

Q. なぜ「終了の証」のあとに本当の答えが来たのですか。

本人はその理由を説明していません。事実として語っているだけです。

私も因果を説明できません。ただ、証明する側にも分からないことがあるとは言えると思います。

Q. この話を、仕事の話として読んでよいのですか。

そこは慎重にしたいところです。一人の人が長い年月をかけて抱えた問いの話で、軽く流用できるものではありません。

私が持ち帰ったのは、完了と解決は別という一点だけです。それ以上を重ねないようにしました。

出典

  • 『致知』2021年8月号「修養の道、限りなし」(特集「積み重ね 積み重ねても また積み重ね」)8〜17ページ。対談形式
  • 本記事が用いたのは、本文12ページおよび本文14ページの二節
  • 引用はすべて、同誌のスキャン原本を300dpiで展開して字句を確認した(2026-09-14に再照合。7か所すべて一致)
  • 同誌で本人が語っているご家族に関わる事情は、本記事では記していません
  • 老師の実名、菩提寺と和尚のお名前、赴任先の都市名と勤務先の業種は、本記事では記載していません
  • 年齢・年号は本人の語りによります。ただし地下鉄での体験そのものが何歳の出来事かは、同誌に明記がありません。本記事でも年齢を付けていません
  • 本記事は『致知』の対談のみを素材としており、坐禅会の録音および『禅の正門』は使用していません

関連記事

  • 水の尽きるところまで行って、坐って雲を見る——九年かけた一冊の、最後の一行
  • 言葉を見て、察する——本物の指導者を、素人が見分けられるか
  • 衛生講話では、病気は治らない——独参という、一対一の仕組み
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

Takuomi Mochidaのアバター Takuomi Mochida 株式会社ベンチャーネット代表取締役

株式会社ベンチャーネット 代表取締役
2005年に株式会社ベンチャーネットを設立後、SEOをはじめとするデジタルマーケティング領域のコンサルティングサービスを展開
広告・SNS・ウェブ・MA・SFAと一気通貫で支援を行っています
著書に『普通のサラリーマンでもすごいチームと始められる レバレッジ起業 「バーチャル社員」があなたを救う』(KADOKAWA、2020年)

目次