前の記事「盛和塾が遺したもの——最後の講話「フィロソフィをいかに語るか」を読み返す」で、フィロソフィの語り方を四つ紹介しました。最初は受け売りでいい。率先垂範。本音で語り合う場。共に学びつづける。
では、自社でどう回すのか。
私は十年ほど前に、やってみました。半年もちませんでした。
今回は、その失敗から書きます。四つの教えのうち、①受け売りと②率先垂範を、どう回すかの話です。
半年もたなかった勉強会
二〇一六年ごろのことです。当時、私は盛和塾に通っていました。京セラのフィロソフィ勉強会を参考に、社内で同じことをやってみました。
参加者は六人から八人。全社員に義務づけたのではなく、手を挙げた人だけです。月に一回、集まりました。
やっていたことは、京セラフィロソフィの読み合わせです。テキストを開いて、順番に読む。そこに書かれていることを確認する。
それだけでした。
半年もたずに、途中でやめました。
いま思えば、参加者は悪くありません。義務でもないのに手を挙げた六人から八人です。学ぶ気のある人たちでした。それでも続かなかった。
足りなかったのは、私の本気度だった
続かなかった理由は、はっきりしています。
私の本気度が足りませんでした。
もう少し正確に言うと、私自身が、その価値を疑っていたのです。当時の私は、稼げばよくて、価値観など関係ないと思っていました。
盛和塾に通いながら、です。
そう思っている人間が、月に一回、フィロソフィを読み上げる。何が起きるかは想像がつきます。
そして、私はそれを語っている最中に、自分で分かっていました。
自分の言葉になっていない。読んでいるだけだ。この声は届いていない。
分かっていながら、半年続けました。やめるまでのあいだ、毎回そう感じていたと思います。
疑いながら語る場は、設計では救えない
ここで、進め方を工夫すればよかったのではないか、と考えることもできます。
読み合わせだけでなく、各自の体験を話す時間を入れる。自社の言葉をつくる作業を挟む。そうすれば続いたのではないか、と。
たしかに、それは効きます。あとで書きます。
けれど、順番が違います。主宰している人間が価値を疑っているなら、どんな進め方を組んでも同じです。参加者は、読み上げられた言葉より先に、読み上げている人の温度を受け取ります。
図1 借りる前に、一段ある——価値を信じているかどうかは、進め方の工夫では埋められない
「最初は受け売りでいい」という教えは、敷居を下げてくれます。教養がなくても、語彙がなくても構わない。学んだことをそのまま話しなさい、と。
ただ、そこには前提があります。借りようとしている言葉の価値を、借りる本人が信じていること。
これは教えへの反論ではありません。前提条件です。信じているからこそ、借りることに意味が出る。
私は、その場にはいました。盛和塾の席に座り、話を聞いていた。それでも信じてはいませんでした。学びの場にいることと、信じていることは別です。
言い換えると、受け売りは信頼の上に成り立つ行為です。誰の言葉を借りるかを選んだ時点で、その人はもう一度、自分の判断をしている。借りることと、考えないことは違います。
私はそこを飛ばしていました。
読み合わせだけでは、言葉は自分のものにならない
前提が埋まったとして、次は進め方です。
私の勉強会に足りなかったものは、はっきりしています。読む工程しかありませんでした。
借りた言葉が自分のものに変わるには、あいだに一つ挟むものがあります。自分の経験で裏打ちする工程です。
「お客様第一」と書いてある。読む。ここで終わると、それは知識です。
そこで、こう聞く。この言葉に反することを、先月やってしまった人はいますか。あるいは、この言葉があったから踏みとどまった場面はありますか。
誰かが話す。すると、テキストの一行が、その人の具体的な出来事とつながります。
図2 私の勉強会に、なかった工程——読むだけの場に、話す・書く・主宰者が先に話す、が入っていなかった
もう一つ足りなかったのが、私が先に話すことです。
②率先垂範は、行動で示すことだと受け取られがちです。ここではもう少し狭く使います。主宰している人間が、自分の経験を先に開くこと。 それも、できた話ではなく、できなかった話から始めることです。
社長がうまくいった話をすると、場は褒め合いになります。社長が失敗を先に出すと、他の人も出しやすくなる。順序が逆だと、誰も本当のことを言いません。
私はどちらもやっていませんでした。テキストを開いて、読んで、閉じていた。
いま組み直すなら
四つの教えのうち、この記事で扱ってきたのは①と②です。残る二つには、それぞれ別の記事があります。
③本音で語り合う場については、「コンパ」という装置を扱った記事があります。④共に学びつづけるについては、自社版の塾・読書会のはじめ方に書きました。
回す順序としては、こうなります。
まず、自分が信じているかを確かめる。信じきれていなければ、始める前に自分が学ぶ。ここは飛ばせません。
次に、借りる。テキストを決めて、そのまま読む。ここは軽くて構いません。
そして、経験に当てる。読んだ一行について、自分の経験を話す。主宰者が先に話す。
最後に、自社の言葉に置き換える。借りた言葉のままでは、いつまでも借り物です。
図3 四つの教えを、どの順で回すか——0を飛ばすと、その先で何をしても続かない(自社の言葉への置き換えは図2「書く」を参照)
つまずきの型
私が通ったものを含めて、三つ書きます。
一つめは、テキストを決めれば場ができる、という思い込みです。
- 良い本を選び、日程を決め、部屋を押さえた
- 参加者も集まった
- それなのに、三回目あたりから空気が重くなる
原因は、読む工程しかないことです。人は、知識を受け取る場に毎月は通えません。自分の話が出る場だから通えます。
二つめは、社長が語れば伝わる、という思い込みです。
- 熱心に語っている
- 社員は静かに聞いている
- しかし、語った内容が仕事の中で出てこない
原因は、語る人と聞く人が固定されていることです。聞くだけの人は、その言葉を自分のものにする機会がありません。
三つめは、自分が実行できていないから語れない、という思い込みです。
これは、私が長く持っていたものです。できていない人間が説くのは嘘だ、と。
ただ、実行しきれている経営者は、そう多くないように思います。できていないと認めたうえで語る道があります。そこは④の話なので、別記事に譲ります。
まとめ
- 十年前、有志六人から八人と月一回の勉強会を始めた。読み合わせだけで、半年もたずに途中でやめた
- 続かなかったのは、私自身がその価値を疑っていたから。盛和塾に通いながら、稼げばよくて価値観など関係ないと思っていた
- 語っている最中に、自分の言葉になっていないと分かっていた。それでも半年続けた
- 「受け売りでよい」には前提がある。借りようとしている言葉の価値を、借りる本人が信じていること
- 読む工程だけでは、言葉は知識のまま。経験に当てる工程と、主宰者が先に開く工程が要る
では、私自身はいつ変わったのか。
はっきりした転機はありません。年月をかけて、じわじわ変わりました。ある日目が覚めたわけではない。稼ぐことと価値観は別だと思っていた人間が、いつのまにか、そう思わなくなっていた。
きっかけの一つは、盛和塾だったと思います。ただ、入った日に変わったのではありません。通いつづけた年月のどこかで、少しずつ変わっていた。同じ話を、同じ場所で、何度も聞くうちにです。
だからこの記事は、乗り越えた人間が書いているものではありません。十年かけて、まだ途中です。
稲盛さんは「心を高める、経営を伸ばす」と説きました。心を高めるほうが先だと知ってはいました。知っていることと、信じていることは違います。その差が、あの半年でした。
場そのものをどうつくるかは、先に挙げた「主宰する人が、いちばん学ぶ」で書いています。読む順としては、次はそちらです。
よくある質問
Q. 借り物の言葉を語ることに、抵抗があります。
抵抗があること自体は問題ありません。むしろ、その言葉に価値があると信じているかどうかを先に確かめてください。
信じているなら、借りて構いません。学んだことをそのまま話すほうが、生半可に自分の言葉にしようとするより届きます。信じきれていないなら、語る前に自分が学ぶ番です。私はそこを飛ばして、半年で終わりました。
Q. 勉強会を始めましたが、続きません。何が足りないのでしょうか。
読む工程しかない可能性があります。
テキストを読み合わせるだけの場は、参加者にとって知識を受け取る時間です。それでは毎月は通えません。読んだ一行について、自分の経験を話す時間を入れてください。そして主宰している人が先に話すこと。それも、できた話ではなくできなかった話から始めることです。順序が逆だと、誰も本当のことを言いません。
Q. 自分がまだ理念を信じきれていない気がします。それでも始めてよいですか。
始める前に、自分が学ぶ時間を取ることをおすすめします。
疑いながら語ると、参加者は言葉より先に語り手の温度を受け取ります。進め方をどう工夫しても、そこは埋まりません。ただし、完全に信じきるまで待つ必要もありません。私の場合は年月をかけてじわじわ変わりました。いま何割か信じられているなら、その何割かの部分から始める手はあります。
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