「主宰する人が、いちばん学ぶ」という記事で、自社に読書会をつくった話を書きました。社内に学ぶ場をつくると、主宰する自分が最も学ぶ、という話です。
では、その私自身は、どこで学んでいるのか。
今回は、その問いから始めます。社内の話ではなく、私が一人で学び、外へ出て、同じような人と出会うまでの話です。
まだ形になっていない構想も、最後に置きます。勧誘ではなく、同じ問いを持つ人がいるかを確かめるために書きます。
起業4年目、「学ぶ必要なんてない」と思っていた
私は、大学を出て大手のIT企業に入り、3年半で起業しました。
起業するまで、経営について深く考えたことはありませんでした。売上と利益をつくればよい、としか思っていなかったのです。
学歴もあり、大手にいたというキャリアもある。だから、中小企業を相手に、いまさら何かを学ぶ必要なんてない。そう思ったまま、悪戦苦闘の4年が過ぎていました。
ただ、心のどこかに、漠然とした不安がありました。この短期の考えだけで、あと40年も経営を続けられるのか、という不安です。
そのときに出会ったのが、『経営の教科書』(新将命)でした。私にとっての恩書です。
この本で、経営に対する軸ができました。本から、こんなにも学べるのか。そう思って、それまでにないほど真剣に読みました。
同時に、読み方も学びました。どういう問いを持って本を探すか。出会った本から、何を学ぶか。
その後、岡本吏郎先生の本や、稲盛和夫さんの本に出会い、世界が広がりました。あの一冊がなければ、暗中模索のまま、会社もつぶれていたと思います。
師事は、一人称でしかできない
私は、岡本吏郎先生が主宰する「真剣に、本を読む会」に通っています。2020年12月からなので、今年で6年目になります。
社内に読書会があるのに、なぜ私は外でも学んでいるのか。答えは、思いのほか単純でした。岡本先生を師事しているのは、私だからです。
会社は、誰かを師事することができません。社員に、私の代わりに学んでもらうこともできません。
だから、社内か社外か、という選択をした覚えはないのです。師のいる場所が、たまたま会社の外にあった。それだけのことでした。
ここでいう同志とは、同じ問いを持って、それぞれの場所で学び続けている人のことです。上下はなく、先生と生徒でもありません。
会では、毎回、宿題が出ます。読んだ本について、自分の言葉で書いて出す。6年目の今も、それを続けています。
宿題を書く時間は、誰にも代わってもらえません。書いているあいだ、私は経営者でも社長でもなく、ただの生徒です。
私が学んだものが、社内へ及ぶ
一人で読み、外の会で宿題を出す。そこで私が受け取ったものは、まず社内へ向かいました。
それが、自社の読書会です。つくり方や続け方は、「主宰する人が、いちばん学ぶ」に書いたとおりです。ここでは繰り返しません。
ひとつだけ言えるのは、順序です。社内に場をつくれたのは、先に私が一人で学んでいたからでした。逆の順序は、なかったと思います。
「朋遠方より来たる有り」を、孤独の側から読む
『論語』に、よく知られた一節があります。
朋遠方より来たる有り、亦楽しからずや。
友が遠くから訪ねてきてくれる、なんと楽しいことか。そういう意味です。
私はこの一節を、『修己治人の書「論語」に学ぶ』という本の、「孤独と不安」と題された講で読みました。
この講では、この言葉を孤独の側から読みます。自分を知ってくれる人が少ない。だからこそ、思いがけず遠くから、自分を知って来てくれる人がいると楽しい。そういう趣旨です。
続けて、人はもともと孤独である、一人で生まれて一人で死ぬ、誰も代わりがきかない、とも述べられています。
私は、ここで自分のことを考えていました。
師事は、私にしかできない。社員に代わってもらえない。あれは、孤独の話だったのです。そして、一人で続けているからこそ、遠方の朋がいる。
学びの場には、守破離という言葉があります。型を守り、型を破り、型を離れて自分のものにする、という段階です。
朋は、離の段階で現れるのだと思います。型を守っている間は、師と自分の関係で足ります。自分のものになりかけたころに、同じ道を歩いてきた人が見えてくる。
順序を、図にしてみます。
図1 学びが及ぶ順序——師事は一人称。私が学び、社内に及び、そのあとで遠方の朋が見えてくる。順序は逆にできない。
外れた場所の木と、小さな生態系
会の第11回で、こんな宿題が出ました。「あなたは、どのような場所に植えられた、どんな木ですか?」
私は、こう書きました。
大きな森の生態系からはずれた場所に植えられた小さな若い木です。同じように外れた場所に生息している植物とともに小さい生態系を作りながら、成長している木です。
大きな森を、否定したいわけではありません。ただ、私はそこにいなかった。それが、当時の自分に見えていた景色でした。
一人で読み、宿題を書いて出す。それを6年続けていると、あることに気づきます。同じように、外れた場所で続けている人がいる。
探して見つけたのではありません。続けているうちに、見えてきたのです。
ここから先は、まだ構想です。外れた場所の木同士で、小さな生態系をつくる。宿題を見せ合い、それぞれの場所へ戻って、また続ける。そういう輪があったら、と思っています。
図2 外れた場所の木と小さな生態系——大きな森を否定しない。外れた場所で続けている木同士が、小さな輪をつくる。まだ構想の段階。
輪は、まだありません。あるのは、私が続けているという事実と、同じ人が見えてきたという実感だけです。
学びの場について、よくある誤解
誤解1:「外に出れば、学べる」
- 会には入ったが、宿題が出せない
- 講義を聞いて、それで満足してしまう
- 半年ほどで、顔を出さなくなる
学びは、受講では残りません。問いを持って読み、書いて出したときに残ります。場所を変えても、書かなければ何も残らないのです。
私が変わったのも、会に入ったからではなく、一冊の本を真剣に読んだときでした。会は、その続きを出す場所です。
誤解2:「社員を勉強会に行かせれば、会社が変わる」
- 幹部を、外の研修に送る
- 自分は行かない
- 報告書だけを受け取る
師事は、一人称でしかできません。先ほどの本にあったとおり、誰も代わりがきかないのです。
順序は、私、社内、そして遠方の朋です。社員を外へ送るのは、その後でよいと思っています。
誤解3:「学ぶ仲間は、探せば見つかる」
- 交流会を渡り歩く
- 名刺は増えるが、宿題を見せ合う相手はいない
- 「合う人がいない」と結論する
同じ本に、思い続けているうちに「しるし」が形に現れ、そこで人が協力しはじめる、という趣旨の話があります。探す前に、自分が続けているかどうかです。
私は、探していません。続けていたら、見えてきた。それだけです。
よくある質問
Q1. 社内に読書会があるのに、なぜ社外でも学ぶのですか?
社内の読書会は、私が学んだものを渡す場です。師事は、そこではできません。師のいる場所が、たまたま会社の外にあった。社内か社外か、という選択ではありませんでした。
Q2. 一人で本を読むだけでは、足りませんか?
足りないのではなく、それが先です。私の起点も、一冊の本を一人で真剣に読んだ経験でした。朋は、その後に来ます。
Q3. そのコミュニティは、もうあるのですか?
まだありません。あるのは、私が6年続けているという事実と、同じ人が見えてきたという実感だけです。構想は、構想として置いています。
まとめ——高めるのは、まず私
「心を高める、経営を伸ばす」。この学びの場を貫く言葉です。
高めるのは、まず私です。会社でも、社員でもなく、私が師事し、私が宿題を書く。それが社内に及び、そのあとで、遠方の朋が見えてくる。
私は、大きな森から外れた場所に植えられた、小さな木です。同じように外れた場所で続けている木が、いくつか見えてきました。
もし、あなたも外れた場所で一人、宿題を出し続けているなら。それを知ることができたら、私にとっては、ただ楽しいことです。
社内に場をつくる方法は「主宰する人が、いちばん学ぶ」に書きました。どこから読み始めるかは、「どこから読むか——守破離で組んだ、このサイトの歩き方」を入口にしてください。
私は、まだ生徒です。この続きは、宿題を出しながら書いていきます。
