魚は水を出ない——スピノザに学ぶ「自分の望む生き方」の見つけ方

前回の結びに、問いを残しました。禅で心の軸をつくり、易で変化の地図を手に入れた。では、その地図を持って自分はどこへ向かうのか——どの水を泳ぐのか。答えを探しに、今回は西洋へ渡ります。

岡本吏郎先生の連続セミナー「Bande a Part」。ゴダールの映画題名(はなればなれに)を冠したこの会は、1年6回をかけて一つのテーマを追いかけてきました。「自分は自分の望む生き方をしている、という自信を持つ」——。

ハイデガー、ラカン、道元と巡ってきた旅の最終回、決算の思想家として登場したのがスピノザでした。今回は、この最終回の講義録から、経営者の後半生に効く核心部分をまとめます。

目次

幾何学で書かれた倫理学

スピノザ(1632-77)は、ウェストファリア条約で「国民国家」という概念が生まれたまさにその時代を生きた哲学者です。主著『エチカ』の副題は「幾何学的秩序で証明された倫理学」。中学数学の教科書のように、定義から始まり、公理、定理、証明と積み上げていく形式で「自由とは何か」を論証していく、異様な本です。

岡本先生がスピノザを買うのは、この点です——言葉の曖昧さに逃げない。「自由」や「意思」をなんとなく使わず、すべて定義してから積み上げる。だからこそ、その結論には破壊力があります。

「目的があるから努力する」は、順序が逆

スピノザの結論のひとつが「自由意志はない」です。何かを決定したとき、その決定はすでに無数の影響の産物であり、まっさらな状態から意思決定することなど人間にはできない。では意思とは何か。スピノザは、意思とは肯定し否定する能力——平たく言えば好き嫌いだと定義します。

ここから、驚くべき順序が導かれます。私たちは「目的があるから努力する」と考えますが、スピノザに言わせれば逆です。まず努力(コナトゥス)があり、そこから意思が生まれ、衝動が生まれ、意識を伴った衝動として欲望=目的が現れる。目的とは衝動のことであり、衝動から生まれていない「上場します」のような目的は、他者の欲望をなぞっただけの偽物だ、というわけです。

「目的があるから努力する」は、順序が逆 通説の順序 目的を立てる(「上場します」) 目的に向かって努力する 結果が出る(はず) その目的、他者の欲望の コピーかもしれない スピノザの順序 コナトゥス(努力)がまず在る 意思(好き嫌い)が生まれる 衝動が生まれる 欲望=目的が「現れる」 証言: イチロー「去年の自分を継続していたら新しい自分が現れた」 目標を掲げて頑張ったのではない。努力(継続)が先で、新しい自分は後から現れた。

図1 順序の逆転——目的が努力を生むのではなく、努力(コナトゥス)から目的が現れる

コナトゥス:現状維持ではなく、変容する力

コナトゥスとは自己の存在を維持しようとする努力のことですが、水平線のような「現状維持」ではありません。存在能力がより増大する方向で自己に固執する力であり、同時に、刺激を受けて変容する力でもある。幼虫がさなぎの中で一度どろどろに溶けて蝶になるように、人は変容のプロセス(イニシエーション)を通じて別の本質に生まれ変われる——それを支えるのがコナトゥスです。

だから、と岡本先生は続けます。年を取ったから学びをやめる、はあり得ない。江戸時代なら、この会場のほぼ全員がすでに死んでいる年齢です。夫婦二人で10年、20年と仲良く暮らすことも、リタイア後の人生も、人類にはノウハウのない、初めての経験です。悠々自適という概念は近代が生んだ幻想であり、会社を売るのは構わないが、売って隠居はない。コナトゥス=変容する力が働いているとき、人は自由なのですから、引退はその力を自分で止める危険な行為なのです。

魚は水を出ない——受動性こそ主役

このセミナー最大の見どころは、スピノザと道元が合流する場面です。

スピノザは、人間の精神においては受動性が主役であり、能動性は受動性の中に生じる部分的なものにすぎない、と見ます。ならば私たちにできる最大のことは何か。「俺がやってやる」と力むことではなく、良き受動を得られる場所に身を置くこと——つまり、良き環境を選ぶことです。

これは道元の「魚は水を出ない」と同じ話だ、と岡本先生は言います。魚は水の外では生きられない。魚にできるのは水を利用することだけ。しかしその制約=必然性にうまく従うからこそ、魚は力を最大に発揮できる。スピノザの言葉で言えば、必然性に従うことができるのが自由。「人は生まれながら自由なのではなく、自らによって自由になる」。自由と必然を対立させず、自分に与えられた条件のもとで自分の力を全面的に発揮できることを自由と呼ぶ。運命論ではありません。「こんな家に生まれなきゃよかった」と言った時点で負けであり、与えられた水の中で泳ぎ切ることが自由なのです。

魚は水を出ない——必然性に従うことが、自由 水=与えられた条件(必然性) 水にうまく従うから、力を最大に発揮できる 与えられた水の中で泳ぎ切る=自由 水の外では 生きられない 「こんな家に生まれなきゃよかった」と言った時点で、負け。 人は生まれながら自由なのではなく、自らによって自由になる(スピノザ) 自由と必然を対立させない。条件のもとで力を全面発揮できる状態を、自由と呼ぶ。 道元(東洋)とスピノザ(西洋)が、同じ一点で合流する。

図2 魚と水——制約と戦うのではなく、制約に従い切ることで力が最大になる

では、自分の「水」はどう見つけるのか

問題は、人間は魚ほど単純ではないことです。33人いれば33通りの「合う水」がある。しかもスピノザは言います——私は、私の身体が何をなしうるかを知らない。私は、私の精神が何を欲しているかを知らない。自分で自分がわからないのに、どうやって自分の環境を選ぶのか。

答えは身も蓋もないほどシンプルです。実験しかない。多くの仕方で刺激される状態に身を置き、もろもろのものを利用して、できるだけ楽しむ——これがスピノザの処方箋です。ポイントは「楽しむ」で、ディズニーランドのように誰かの企画に乗るのは楽しむことではなく、自分の工夫が絡んでいなければ楽しみは生まれない。実験を重ね、なぜかシナジーが働く場所、理屈抜きに力が出る場所を探り当てていく。私たちは皆、無意識にこのトライアルを繰り返して今の場所にいるのですが、後半生はそれを意図的にやらなければならない、というのが岡本先生の警告です。

そして実験の質を決めるのが認識力です。同じ雪山を歩いても、白兎に気づく人と気づかない人がいる。同じ映画を見ても受け取る情報量がまるで違う。認識する能力を高めることが自由に直結する——そして高める方法は、訓練とロールモデル(違う見方をする人のそばにいること)しかない、と。

自分の「水」の見つけ方——実験と認識力 ①実験する 多くの刺激に身を置き、工夫して楽しむ ②認識力を磨く 訓練+ロールモデルのそばにいる ③自分の水を探り当てる 理屈抜きに力が出る場所・シナジーの場所 ④必然性に従い切る=自由 その水の中で、力を全面的に発揮する 水は変容とともに変わりうる——だから実験は生涯続く(①へ戻る円環) 若い頃は、誰もが無意識にこのトライアルをやっていた。 後半生は、これを「意図的に」やらなければならない。 スピノザ「私は、私の身体が何をなしうるかを知らない」——だから頭ではなく実験で探す。

図3 自分の水の見つけ方——実験→認識力→水の発見→従い切る。後半生はこれを意図的に回す

ここで、温故知新の話を思い出してください。「故き」には二層ある——人類の古典と、自分の歴史。スピノザは西洋の第一層ですが、実はこの「実験」こそ、第二層=自分の歴史を自分の手でつくる行為にほかなりません。実験の足跡は、そのまま自分にしか持てない過去になる。後半生の実験は、未来の判断を支える「故き」の仕込みでもあるのです。

余談ですが、この文脈でモンテッソーリ教育が紹介されたのが印象的でした。あの教育法の本質は「教える」ことではなく、愛をもって観察し、その子の水を探すこと。適切な環境に置けば、子供は勝手に学び出す——そして大人も、適切な環境に身を置けば「スポンジのように吸収する敏感期」に居続けられる、という話でした。

力を抜く、そして「人生ゲーム」

午後は一転、植原紘治先生による「力を抜く」ワーク(ルン・ル)でした。午前中に理屈で理解したこと——身体の言い分を聞く、受動に身を委ねる——を、今度は理屈抜きで体験する時間です。午前の講義で語られたとおり——夢とは心の言い分であり、生きている私たちはそれに応える責任がある。頭で組み上げた認識を、緩んだ身体に落とす。この構成自体が「知識を胆識へ」の実演だったように思います。

そして配布された岡本先生のエッセイ「人生ゲーム」が、シリーズ全体に静かな幕を引きます。数十年ぶりに会った60代の同級生3人。辞めたくても辞められない者、あと数年で退職の者。年齢とともに選択肢は減り、最後は誰もが一つになる。残るのは「辞める自由」の土台であるお金と、「続ける自由」の土台であるスキルと顧客、そして友と家族——。それでも悲観しない。その時が来たら「あー、到着したか」と一言つぶやけばいい。ジャ・ジャンクーの映画を引いた「世界は変わる。人は変わらない」という一行が、コナトゥス(人は自分の本質のやり方でしか努力できない)の裏返しとして響きます。

まとめ:自信は、願望ではなく認識から来る

「自分は自分の望む生き方をしているという自信」。1年かけたこの問いの答えは、ポジティブシンキングでも自己暗示でもありませんでした。整理すると、こうなります。

  1. 目的は立てるものではなく、現れるもの——コナトゥス(努力)が先。他者の欲望のコピーを目的と呼ばない
  2. 必然性に従うことが自由——与えられた水と戦わず、その中で泳ぎ切る。道元とスピノザは同じ一点で合流する
  3. 自分の水は実験でしか見つからない——頭ではわからない。刺激に身を置き、楽しみ、認識力を磨いて探り当てる
  4. 後半生は意図的な実験の季節——引退は変容の力を止める危険な行為。実験の足跡が、自分だけの「故き」になる

禅は心を調え、易は変化の構造を読み、スピノザは「自分の水」の見つけ方を教えてくれる。心を高める道具箱に、西洋からもう一つ、強力な一冊が加わりました。

これで、「己を修める」旅がひと回りしたことになります。稲盛哲学に始まり、坐禅で心を調え、易で世界を読み、スピノザで自分の水を知る——「心を高める、経営を伸ばす」の土台は、ここまでで一通り揃いました。しかし、易経の最後の卦が「未済(未完成)」だったことを思い出してください。この旅に、終わりはありません。道具が揃った今こそ、もう一度、最初の問いに戻る価値があります——なぜ、経営者は学びつづけなくてはいけないのか。円環の始まりへ、どうぞ。

よくある質問

Q. 「目的を持て」とよく言われますが、スピノザは違うのですか。

順序が逆だ、というのがスピノザの答えです。まず努力(コナトゥス)があり、そこから意思、衝動と続いて、目的は最後に「現れる」もの。衝動から生まれていない目的は、他者の欲望をなぞっただけの偽物になりがちです。

Q. 「必然性に従う」ことは、あきらめとどう違うのですか。

運命論ではありません。魚が水にうまく従うからこそ力を最大に発揮できるように、与えられた条件のもとで自分の力を全面的に発揮できる状態を、スピノザは自由と呼びます。条件と戦うのでも、投げ出すのでもなく、その中で泳ぎ切ることです。

Q. 自分に合う環境(水)は、どうすれば見つかりますか。

頭で考えてもわかりません。実験しかない、がスピノザの処方箋です。多くの仕方で刺激される状態に身を置き、工夫して楽しみ、理屈抜きに力が出る場所を探り当てる。その実験の質を決める認識力は、訓練とロールモデルで磨きます。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

Takuomi Mochidaのアバター Takuomi Mochida 株式会社ベンチャーネット代表取締役

株式会社ベンチャーネット 代表取締役
2005年に株式会社ベンチャーネットを設立後、SEOをはじめとするデジタルマーケティング領域のコンサルティングサービスを展開
広告・SNS・ウェブ・MA・SFAと一気通貫で支援を行っています
著書に『普通のサラリーマンでもすごいチームと始められる レバレッジ起業 「バーチャル社員」があなたを救う』(KADOKAWA、2020年)

目次