失業者が増える国日本

デジタル化のおかげで、仕事の効率がアップする反面「今やっている仕事はAIなどに取って変わられる危険性」があるとも言われます。

引用記事では7年後に失業する日本人は「140万人」。
ただし、この数字はかなり控えめなもの、実態はその10倍近くなるという驚きの記述が見られます。
なぜ、こういった数字が出てくるのか?対策はないのか?を見て行きましょう。

現在すでにRPAなどの導入で、ルーティンワークの多くが機械に取って代わられる時代になっています。
この傾向を見て行くと、7年後には、事務、経理といった現在のデスクワークがかなり減ることがわかります。

140万人という数字の根拠は過去6年間、米国で減ったルーティンワークが約7%。現在、日本の非正規雇用者が2000万人強います。これに7%をかけると140万人という数字になるため。

しかし、現実には米国以上に日本のルーティンワークは減っており、今後はそれ以上の減少スピードになると予測される。

また便宜上、ルーティンワークをする労働者=非正規雇用者としてあるが、実際には正規雇用者も当然含まれる。
新規採用者枠が減る可能性も大きく、その分職にあぶれる人も増えると予想されるのです。

また別の観点からの計算も載っています。
2016年のOECDの調査では、10~20年後に仕事が失われる可能性が「70~100%」ある人は、雇用者数全体の約7%「50~70%」ある人は約31%。
単純に足し算をすると、仕事が無くなる可能性が高い人が半数近く存在。
現在、日本の雇用者数が5500万人弱、単純計算すると、140万人どころかその10倍もの人の仕事が無くなるということに。

想像するのが恐ろしい「失業者大国日本」になってしまう可能性は、非常に高いのです。
しかし、よく考えてみましょう。この図式は本当に恐ろしいのか?

まず、なぜRPAの導入が現在進められているかを考えてみましょう。
RPAは面倒な経理清算などを一晩でこなしてくれます。人間は楽ができる。

つまり「面倒なことは任せる」ためのデジタル化であり、面倒な仕事をすべて機械が引き受けてくれる未来が待っているということ。
考えようによっては、これぞ望んでいた社会、描いていた未来と言えなくもないのです。

日本の最大の問題は、描いた未来が来る先を描けていないことなのです。

「守るばかり」では先はない

引用記事ではデジタル化を「攻め」と「守り」の2つに分けています。
「守りのデジタル化」は、まさにルーティンワークをRPAなどに丸投げすること。楽をすることです。

これに対し「攻めのデジタル化」は、デジタルを使って、どれだけ面白いことがやれるかを考える。
労働に置き換えると「付加価値」と呼ばれるものに該当します。
欧米各国は、ここに力点を置いているため、デジタル化に関して前向きなのですね。

守りだけをやっていては「希望通り」、面倒な仕事はすべてロボットがやってくれる世界になります。
「面倒な仕事」以外のことで収入を得られなければ、当然、日本は失業大国、国家財政も危うくなってしまうことに。

本来は「面倒の減少」を喜びつつ、新しい労働市場を開拓していかなくてはいけないのですが、GAFAの例を見ればわかるようにその点で日本は完全に後れを取っている。
しかし、この構図に気づけば、いつでも「攻め」に転じるのは可能。

RPAなどの導入は「仕事を減らす」ためではなく、「人間がさらに楽しいことをやるため」という観点を持つことが大事なのです。
このスピードが遅れると、新しい仕事の増加より、仕事の減少スピードが勝ってしまう。あまり悠長な話ではありません。

拙速すぎる「移民政策」

実は引用記事の骨子は「守りを補うあまり、外国人労働者の受け入れを急ぎ過ぎてはいないか?」というもの。

このまま、労働市場の傾向が変わらないと、人間が行う仕事はRPAにやれない作業のみ。
中でも確率が高いのは、現在ブラックと言われる市場です。
そこに人が殺到せざるを得ない。このカテゴリーの作業を現在、外国人労働者に補ってもらおうとしていますが、遠からずこの市場に大量の日本人が押し寄せることになる。
すでに現在、人手不足が顕著な業界とそうでない業界という格差が見え始めていますね。

まず「攻めのデジタル化」を進め、労働市場を拡大する。
その上で、外国人労働者を雇うのであれば納得できますが、「守りの市場を取り合う」状況が目に見えているのに、それを改善せず外国人労働者を入れるとどうなるか。
より不毛な争いが繰り広げられることになります。

こういった事態を避けるためにも、「攻めのデジタル化拡大」は、もはや緊急課題。
ポジティブな見方をすれば、外国人在住者増加となれば、否が応でも日本人は習慣を変えざるを得ない。多様化社会が身近になります。
こういった土壌が「攻めのデジタル化」のきっかけになるチャンスはあります。

とはいえ、楽観論も「守り状態」ではやはり同じこと。「攻めの楽観論」を考え出さなくてはいけない時代に来ているのです。