デジタル化」は誰のため?

進んで行く職場のデジタル化、大きく分けて2つのパターンがあります。
まず1つ目は、無人レジのような個別の仕事をデジタル化する方法。
昭和の時代に電卓でやっていたようなことは、現在パソコンがやってくれますね。そういったタスクの置き換え方法です。

もう1つが全体の流れ自体のデジタル化、無人レジはこの中にも該当します。無人レジを導入することで、在庫管理を自動化したり、と全体の流れ自体をデジタル化する方法です。
引用記事では後者を「インテリジェントオペレーション」としてサービス販売。
福岡市にオペレーションセンターを置くことが決定したアクセンチュアという会社が紹介されています。

アクセンチュアの目標は「90%業務自動化」。
まさにAIが仕事の大半を担う時代がすぐそこまで来ているようです。

90%自動化は世間のニーズ。先の例えでいうと「レジだけ無人化」しても、品物探しに時間がかかる、また買った品物が重い。
こういったことに店員が対応しない、となったら、スーパー全体の利益にはつながりません。
記事ではこういった方法を「つまみ食い」と表現していますが、アナログベースに無理やりデジタルを押し込む方法は、かなり限界が来ています。

仮に無人レジにしたところで、品質管理を紙で厳重に行い、そこで人手を割く。
そうなれば、企業としても無人レジの意味合いがわからない。
労働者もレジ担当でなくなるだけで、やはり得はない。
消費者もレジの人に会わないだけ、むしろ何かを訊きたいときに店員がいないという損を被る可能性もあります。

これでは「無人レジ」の存在自体が広報になるだけで、システムとしての得がわかりませんね。
それよりも基本的にデジタル設定で物を考える。スーパーでいえばネット販売という方法です。

そして「これをいきなり行わない」ということが大事なポイントになります。
ソフトランディグが大事。

仕事のAI化などの記事を読むと、すぐ明日にも働く先がなくなるかのようですが、そういった短期間の劇的な改革は、労働者にも利用者にもメリットが少ない。

そもそも人が生きる社会のためにデジタルを導入するのですから、人とデジタルは切り離せません。
スーパーで言えばリアル店舗もありつつ、ネット通販も当たり前という状況。
このバランスは利用者、労働者のせめぎ合いになっていますね。
時間をかけて、デジタルの便利さという流れを身につけていく。時間をかけて地に足のついたデジタル化を行う、これが大事なのです。

デジタル化はさりげなく

今回の「インテリジェントオペレーション」システム導入が、福岡という地方都市なのは、アジア圏の出入り口であること。
大都市でありながら、東京とは別文化を持つ町という性質があるためだと思われます。

西日本の場合、インバウンドという報道以前に外国人が多く入り込んでいる都市も珍しくはありません。
特に福岡の場合、韓国とは日帰りのやり取りが可能。元々アジア圏の人たちが日常的に出入りをするエリアです。

言語を使うアナログ方式より、デジタルに物を考えた方が物事を運びやすい面があります。
例えば災害避難のあり方を考えた場合、地方都市の方が外国人率は高いことも多くあります。
すると既存の日本語表記ペーパーでは役に立たない。また高齢者や子供がいるケースも多く、誰にでもわかりやすく行動に移せるものでなくてはいけない。

地方都市の方が「変化を望む」理由が切実であることが多いのです。
また過疎化、高齢化が急速に進む都市では、労働力そのものが貴重。
1人何役もこなすということが珍しくもない。

この場合、元気な高齢者にデジタルを利用して、高齢者を見守ってもらうなど従来にはなかった方法を考えなくてはいけません。

必要性の少ない場所に「デジタル化」を持ち込むと、ややこしさが先行しますが、深刻な人手不足が起きている街で、街を末永く維持しようとすれば、デジタル化は大きな味方になりますね。
そういった意味で福岡は向いている街なのだと思われます。

まず多様化を身につけること

また「デジタル化に伴う人の意識改革」というテーマも何の必然性もないところに持ち込むと、ただの面倒なテーマですが、「介護と残業、育児の3つに忙殺されている人はいませんか?解決方法を考えましょう。」というアクセスだと、多くの人が挙手をする可能性大。

忙しさの中には「やらなくてはいけないと思い込む家事」など、捨ててもよいものが割と存在するもの。

そういう固定概念の多くは「世間体」により成り立っています。
「家事はデジタル任せ」が当たり前となれば、案外多くのことをロボット任せにすることが可能。
余った時間で、誰かの話し相手をするなど、時間や労力を地域などの維持のために利用できるとなれば、最初の第1歩は比較的容易だと思われる。
こういった考え方の結果として「90%業務自動化」があるのです。

考えてみれば、昭和時代は専業主婦が主流。家事を丁寧にと言う価値観はごく最近のこと。
今の時代に厄介なのは「主流派」がいないこと。
つまり「丁寧な暮らし」をしたい人もいれば、その逆もいる。一律に好みや方法を横並びに考えることが難しいということです。

多様な価値観があって当たり前、まずその教育ありきで、インテリジェントオペレーションを導入しなければ、誰にとっても役に立つものにはならない。
多様化という社会で生きることを当たり前と感じるには「拙速」は禁物ということです。