前編では、アドラー心理学の視点から長時間労働について考え、“目的論”と“課題の分離”という考え方をご紹介しました。後編では、ラ・ボエシの『自発的隷従論』の視点から、「なぜ人は長時間労働をしてしまうのか」という問題について考えていきたいと思います。

 

人々が”隷従”してしまうのは”習慣”だから?

『自発的隷従論』は、16世紀にフランスの文筆家であるラ・ボエシによって書かれた短い論文です。ラ・ボエシは、過去の様々な歴史を振り返る中で、「なぜ人々はたったひとりの圧政者のもとに隷従してしまうのか」という疑問を提示します。そう言われると、「圧政者に反抗するなんて恐ろしいことはできない」と考える方もいらっしゃるかもしれませんが、その疑問の背景には、ボエシの次のような認識があるのです。

その者(=ひとりの圧政者)の力は人々がみずから与えている力にほかならないのであり、その者が人々を害することができるのは、みながそれを好んで耐え忍んでいるからにほかならない。
(中略)
このただひとりの圧政者には、立ち向かう必要はなく、うち負かす必要もない。国民が隷従に合意しないかぎり、その者はみずから破滅するのだ。なにかを奪う必要などない、ただなにも与えなければよい。国民が自分たちのためになにかをなすという手間も不要だ。ただ自分のためにならないことをしないだけでよいのだ。

『自発的隷従論』(エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ著、山上浩嗣訳、ちくま学芸文庫、2013)より、太字は筆者

つまりボエシは、ただ何もしないだけ、その人が支配者であると人々が認めないだけで、圧政者による支配はなくなるはずだと考えているのです。そして、それにも関わらず圧政者が存在するのは、人々が“自発的”に隷従しているからだ、と言うのです。そのうえで、ボエシは最初の疑問に対する答えを以下のように分析しています。

自発的隷従の第一の原因は、習慣である。
(中略)
人間が自発的に隷従する理由の第一は、生まれつき隷従していて、しかも隷従するようにしつけられているから、ということである。

『自発的隷従論』(エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ著、山上浩嗣訳、ちくま学芸文庫、2013)より引用、太字は筆者

つまり、人々は生まれた時から習慣として隷従させられているため、そのことを当たり前だと思い込んでしまい、そのせいで何の疑問も持たずに圧政者のもとに隷従してしまっている、というのです。

 

会社=圧政者?会社と働く人の関係を考える

これを会社とそこで働く人の話で考えるとどうなるでしょうか。
会社の命令に従ってやりたくもない長時間労働をすることを、上司や先輩から「社会人として当たり前」などと言われたことがある人は多いと思います。そしてその言葉通りに、当たり前のように長時間労働をしているうちに、それが習慣となってしまい、部下や後輩に対して同じことを言っている人は多いはずです。

しかし、それは本当に当たり前のことなのでしょうか。習慣のように慣らされてしまい、当たり前と思い込んでいるだけではないでしょうか。どうしても早く家に帰りたければ、必要最低限の仕事を終わらせて帰ってしまえばいいのに、「そんなことはできない」と自分で自分を縛り付けてはいないでしょうか。

本来、会社とそこで働く人の関係というのは、対等なはずです。働く人が会社という働く場を必要としているのと同様に、会社もそこで働いてくれる人を必要としているのです。会社と従業員の関係だけでなく、フリーランスや在宅ワーカーの方とクライアントの関係などでも同様です。そしてそれは、圧政者とそれに従う人々のような、支配関係ではありません。

にもかかわらず、会社が“上”で自分は“下”であり、自分は会社の指示に従うしかないと思い込んではいないでしょうか。これこそまさに“自発的隷従”であり、本来隷従しなくてもよいはずなのに、自ら進んで隷従してしまっているということなのです。

もちろん、仕事をしていれば、残業しなければならないときもあるでしょうし、一時的に労働時間が長くなるときもあるかもしれません。しかし、それが”隷従”と呼べるような、一方的な関係であると感じているならば、それが本当に”当たり前”なのかを今一度見つめなおす必要があるのではないでしょうか。

自発的隷従のイメージ

 

本当に“仕方なく”長時間労働をしているのか?

自らが望まないことを、外部的な要因によって“仕方なく”やらされる、というのは非常に辛いことです。しかし、実は自分自身でも知らないうちに、“仕方ないと思い込んでいる”ということはないでしょうか。

前編で取り上げたアドラー心理学も、今回ご紹介した『自発的隷従論』も、我々に対して、「それは本当に“仕方ない”ことなのか」という疑問を提示しているように思います。

その疑問に対して答えようと試行錯誤した結果、今まで”仕方ない”と思っていたことが、実はただの思い込みであるとわかれば、そこから抜け出す道も見えてくると思います。

もしかすると、そのように考えていった結果、「実は自分は長時間労働を必要としていた」とわかることもあるかもしれません。それならば、無理に長時間労働をやめる必要はないのです。しかし、同じ長時間労働を行うのでも、仕方なくやらされていると考えるのと、自ら必要としてやるのとでは、受け止め方も大きく変わることでしょう。

 

いかがでしたでしょうか。
もちろん、少子高齢化による人手不足の問題など、長時間労働の要因として考えられるものはさまざまにあります。しかし、そうした外部の要因以外にも、無意識のうちに、自分で自分を縛り付けている可能性があるのです。

自らが置かれている状況は本当に“仕方ない”ものなのか、自分が本当に求めているものは何なのか。100%理想的な環境を手に入れることは難しいかもしれませんが、こうしたことを改めて考えてみることが、少しでも状況を改善するためのヒントになるのではないでしょうか。